「さん!」
 
 目が覚めた、というのをゴンくんが伝えに来てくれて。
 いてもたってもいられずに、身体が動いていた。
 駆けこんだ部屋の中、眠っているキルアくんに手を握られたままのさん。
 少しだけ困った様子なのは、メイサさんが心配そうに身体を触っているからかな。

「あ、よかった本当に目が覚めたんですね。イリカさん、もう大丈夫ですよ」
「よ、よかった・・・」

 さんの腕を取って脈を取るアンさんにそういわれて、安堵で力が抜ける。
 でも、ここで倒れたらさんに心配かけてしまうし、絶対だめ。
 それでもやっぱりさんの様子は気になるし・・・・・・。
 迷っているとシャンキー先生が部屋に入ってくる。とても眠そう。
 さんの手術が終わった後、店長が先生に差し入れをしてきたらしく、様子を訊ねれば、『電源堕としてきたよ』と笑顔でいわれた。
 どうも先生の消耗が激しかったらしく、珍しいよね、と片づけをしながらいっていた。
 それほどさんの怪我はひどかったということ。ホントに助かってよかった。
 さんが先生が手にしていた酒瓶をみて、それを指摘すると、先生はエネルギーだと弁明する。
 店長が持っていった差し入れもお酒のゼリーだったし、それは嘘ではないのだろう。

「ラフィーくんのケーキでも元気になるんだけどねー。それは後でいただくとして」
「あ、いま店長どうされてますか?」
「仕込中。どうやら朝食を作ってくれるらしいよ、今日は店休みにするんかねえ」
「突然休みになることはそう珍しくないですから」

 ここにいても、私にできることはなにもない。
 看護ならアンさんがいるし、呪術が関係していたらしいからメイサさんもこのあとさんの状態をみなきゃいけない。
 私にできることは、お茶を淹れたり、食事を用意したり。
 それなら、できることをすればいい。できることができるところにいけばいい。
 店長の手伝いをしてくることを伝えて、部屋を後にする。






「店長」

 朝ごはんの仕込みをしていたら、イリカがやってくる。
 くんの目が覚めたから、様子を見に行ってきたんだろう。

「手伝いますね」
「ん。どうだった?」
「はい、目が覚めて、お話されて・・・・・・」

 包丁を手に取って手伝ってくれる彼女に、くんの容体を訊く。
 静かに、落ち着いて話す様に違和感を憶える。
 もっと喜んで帰ってくると思ったのに。

「イリカ」
「シャンキー先生も大丈夫だろう、と仰ってましたし、一安心ですね」
「・・・無理しないでいいよ」
「・・・・・・っ」

 声をかければ、一気に決壊する涙腺。
 タマネギが目に沁みたわけではないことはわかっている。
 泣きたいなら泣いていい。僕の前で隠す必要はない。
 それを伝えても、大きな声を立てて泣かないのは、ここが病院だからだろう。

「怖かったね」

 ひとの死に、大事なひとの死に、立ち会うことなんて人生でそんなにない。
 その特殊な身体のせいで、ひとより早くその生命が終わることを自覚していたイリカは、大切なひとは自分より長く生きるものだと思っていただろう。
 それに、大切だと思うひと自体、店に来るまでは、作れなかっただろうし。
 ひとの死は、覚悟していてもツライ。それが大事なひとなら猶更。
 死ぬかもしれない、という恐怖だけで、衰弱してしまうだろう。
 生きて欲しいと願う心は、何より強くて、消耗してしまう。
 だから、そんな大変な時ほど、きちんと食事をとってほしい。

「ほら、これどうぞ」
「・・・・・・」

 冷蔵庫に仕舞ってあったチョコレートを差し出す。
 あまりにも暇だったから、作ったトリュフ。
 僕もそんなに精神的に強い方じゃない。何かしていた方が落ち着く。
 昔はそれで、不安定な時に食材が一気に減って、師匠に怒られたけど。
 苦みの強いチョコレートに、シャンキーの部屋にあった多分高いお酒。
 お子様たちにはあげられないから、僕らだけで食べるつもりでいたんだけど、特別。
 イリカは味を学ぶ必要があるしね。
 驚いたまま口を開けて、チョコレートを頬張るとみるみる破顔していく。
 その素直さが嬉しくて、にっこりと笑う。

「うん、泣きたいだけ泣いたら、笑ってくれると嬉しい」

 ぽんぽんっと頭を撫でれば、少し困ったように笑う。

「あれ、何食べてるの??」

 厨房の入口からひょっこりと顔を出した黒髪の少年。
 元気はつらつといった感じだけど、その反面、勘のいいところがある。
 自然体で、すべてを正しく見ているような少年は、とても気さくで。

「うん、食べてたの内緒ね」
「お酒の匂い・・・・・そっか、みんな知っても食べられないもんね?」
「うん。そろそろできるからみんなを呼んでくれるかな」
「わかった!」

 そういって元気にかけだしていく少年を微笑ましく思いながらイリカを見る。
 勘のいいあの子のことだから、長居はしなかったんだろう。
 泣き顔も見られただろうけれど、質問は何もなかった。
 後ろに隠れてしまった彼女の頭を撫でると、配膳準備を始める。
 大丈夫。大丈夫。
 怖さを知って、またひとつ強くなればいいんだから。

 だからいまは、泣いたって構わない。






さん」

 こんこん、と病室の扉をノックして返事をもらうと扉を開ける。
 さんと話していたクラピカさんと目があって微笑めば、クラピカさんも会釈で返してくれる。
 とても、綺麗なひと。
 こちらを見て起き上がろうとするさんを視線だけで制して、元通り寝かせる。
 朝は一緒に食堂で召し上がられたから、本当は動いてもいいのだと思うけれど、やはり心配なのは同じようで。
 こんこんといい聞かせる声は、廊下まで漏れ聞こえていて、とても心配しているのがわかった。
 さんも大事にしているのか、このひとのいうことは微笑んで聴いていたのだろう。
 そんな関係が羨ましくて、笑みが零れる。
 いいなぁ、そんな関係。

「キルアくんたちも食事にされるみたいで、食堂で待ってますよ」
「そうですか、では私もいただいてきます。、二人に迷惑をかけないように」
「・・・お前の中で俺はどうなってるんだ」
「それは」

 食事の時間だと告げれば、クラピカさんは腰をあげる。
 さんへ、なにやら忠告することは忘れない。
 いつも無茶をしているらしいので、これは仕方ないですね。

「特に、イリカさんに迷惑をかけるな」
「は?」
「では、失礼します」

 やりとりを微笑ましく見ていると、急に自分の名前を出され、目を瞬く。
 暗に指していることを理解して、お気になさらなくていいのに、と呟いたけれど、その言葉は拾われない。
 クラピカさんはとても博識で、とても美人で、気が利いて、そして思いやりがある。
 キルアくんがさんを大好きなことは知っていたけれど、きっとクラピカさんも。
 レオリオさんやゴンくんはもちろん大切だと思っているだろうけれど、ふたりはなんだか、特別な気がする。
 ふたりに対するさんの態度も。

「大切にされてるね」

 店長がそういうのも無理はない。
 本当に、とても大切だという気持ちがあふれているから。





さん、食事をされても違和感はないですか?」

 温かいお茶を淹れながらイリカが問う。
 くんは問題ないことを伝えると、いただきます、と手を合わせて静かに食事をとり始めた。
 うん、ホント礼儀正しいよね。
 彼女がサポートできるから、特に僕がいる必要はないんだけれど、ひょっとしたら食べられないものもあるかもしれないから、一応観察。

「さっきの方、クラピカさん…でしたっけ」
「そう」
「とっても綺麗な方ですね。びっくりしました」
「あぁ、確かに美人だよな。初めて会ったときは、どっちかっていうと可愛い感じだったけど」

 遠い昔を思い出すように言葉を紡ぐくん。
 昔っていっても、年齢からしてそんなに昔じゃないはずだけど。 
 懐かしいと思える倖せな記憶があるのは倖せなこと。
 現に普段はあまり動かない彼の表情も、いまはとても良い。

「それに博識で、ちょっとお話しただけで圧倒されちゃいました」
「生きる辞書、って感じではある。まあその知識に助けられてるところもあったりするかな」
さんのこと、本当に心配されてたんですよ」
「・・・それは、悪いと思ってる」
「大切なひとなら、あまり心配かけないようにして下さいね」

 先刻までいた金髪の子は、ツンツン少年と同じくらいくんを心配していたのは事実。
 いつもは見せない程動揺していたらしく、連れの子が心配していた。
 とても綺麗な子だった。だけど、多分あれは・・・・・・。

「イリカ。彼、男性だと思うよ」
「え!」

 この驚き方は当たりなんだ。
 僕も若い頃よく間違われたから、わかる。彼も自分の女顔に相当苦労してるんだろう。
 ハンバーグをゆっくり咀嚼し終わったくんから肯定の言葉が返ると、イリカは更に挙動不審になる。

「初対面だと間違われることもあるらしいけど。本人には言わないでやって」
「もちろんです。でも…すごく、驚きました。さんのことを特別に思う方なのかな、と」
「?」

 いわないでやって、とは随分な。
 いわれても、ただ単に叩きのめすくらいだよ。
 まぁ、さすがに女の子にいわれても腹は立たなかったけど。
 同性にいわれたら“可愛い”の意味だけじゃなく、性的意味合いもあるから吐きたくなるけど。
 シャンキーも出逢った頃は間違ってたから、一回沈めた。
 たぶん彼は僕ほど喧嘩っ早くないだろうから、いっても大丈夫だと思う。
 動揺したままイリカが紡ぐ言葉は、異性として好意を持っている、という意味だろう。

「特別に違いはないんじゃないかな。そういうことは、性別関係ないから」
「…はい、そうですよね」

 だけど、同性でも特別なことに変わりはない。そんなの異性じゃなくても通じる感情だ。
 だからこそ、僕は僕を男として好きになる男に対して容赦はしない。
 僕の守備範囲はもう特定されてたから、排除してた。
 いまは懐も深くなったから、大切に想える人数は増えたけれど。
 僕はこんな風に自分勝手にできるけど、目の前にいるくんはかなり不器用。
 大切に思われて、親しい相手を大切にすることもできるけれど、でも。

「君は自分のことをもう少し特別に思った方がいいかもしれないね」
「・・・俺のことを?」
「もうひとりの身体じゃないんだし」
「え」

 大切にされているんだから、大切にされている対象である自分自身をもっと大切にしなきゃ。
 自分の身体なんだから好きにさせろ、って思うかもしれないけれど、その自分の身体が何で成り立っているのかきちんと知った方がいい。
 イリカは、恩着せがましいことはしたくないかもしれないけれど、ちゃんと云っておくよ。
 彼の中に、君がいること。彼はひとりじゃないこと。
 きちんと自分も大切に、特別に思ってほしいんだ。
 そうでなきゃ、大切に思ってるイリカたちが報われない。
 たぶん、本人はそんなこと思ってはないだろうけれど、それでも。
 今回のように怖がっているイリカは、これから先はあまり見たくないんだ。

「・・・・・・ごめん、イリカ」
「え?」
「俺のために、イリカの」
「謝らないで下さい。さんがいまこうして生きていてくれるなら、それで十分です」
「…イリカ」
「むしろ、今回ばかりは、この身体でよかったと思ってます」

 申し訳なさそうにする彼に、イリカは少しだけ瞳を潤ませる。
 それでも笑っている様は、健気で。
 複雑ではあるだろうけれど、よかったという気持ちは本物。
 生まれてからこれまで、あまり好ましくなかっただろう自分の体質を、少しだけ誇らしく思ってることを僕は知っている。
 こんな、自分を肯定的に見つめ直すきっかけを、イリカに与えてくれた彼に、ほんの少しだけ感謝している。

「また、店においで」
「それで、店長のおいしいケーキを味わって下さい」
「……二人とも」

 怪我なんてしてないで、病気なんてしてないで。
 時々うちに来て、暖かい時間を過ごして。
 死んでたりなんかしたら、それもできないんだから、きちんと自己管理はやりなよ。









「イリカ」

 あまり長い間傍にいるとさんだって気疲れしてしまう。
 店長は先生たちとお話をしているし、ここには仕事がない。
 せめてお手伝いできたら、と残っていた皿洗いをしていると、店長が顔を出した。
 なんでしょう? と首を傾げれば、にこりと笑う。

「明日、僕は帰るから、彼の世話をしたければ残ってもいいよ」
「え」
「シャンキーにはいっておくから、自由にしていい」
「でもお店が」
「大丈夫だよ。君の分はなんとかなるから」
「・・・・・・」

 穏やかな店長の言葉に、少しだけ迷いが出る。
 さんが元気になるまでお世話できたら安心できるかもしれない。
 だけど、それならばアンさんがいるし、第一さんはお店のことを想ってくれるから気兼ねしてしまう。
 自分がいなくても店は回ることはしっているけれど、それでも。

「私も戻ります。一緒に連れて帰ってください」

 ここよりは、できることがあるから。
 大好きな場所。大切にしたい場所。
 大切だと思う存在が、こんなにも呆気なく、前触れもなく消えてしまいそうになるのだということを。
 ならば、消えてしまうその瞬間まで、全力で大切にしなくてはいけない。
 後悔はしたくない。もっと大切にすればよかったなんて、そんな後悔。

「うん、わかった」

 いつもと変わらず穏やかに微笑んでくれる店長。
 きっと私の決意も伝わったはず。






 くんが傷を負って、みんな心配して駆けつけて。
 久しぶりに三人で話して、女の子たちもくんが心配だと仲よくそわそわしていて。
 くんの傍には友達がいて、とても懐いていることがよくわかって。
 みんなみんな心配したんだよ、ってお説教している様は見ていて微笑ましかった。
 ユっちゃんもシャンキーも、遠い過去を振り返って、昔話も少しして。
 この子たちが未来を背負うんだね、って笑えば、じじくせえこというな、ってユっちゃんはいうし、まだまだ若いよ! ってシャンキーはいうし。
 確かに、僕らがやるべきことはまだたくさんあるだろうけれど、でも、こうやって若い子たちが育っているのを見ると、倖せだよね。
 僕らの記憶が、僕らの歴史が途絶えないこと。これからの未来も、ずっと続いていくことが実感できる。
 そんな遠い未来のことを想うと、嬉しいのと同時に切なくなる。
 大切なひとを哀しませない未来を、僕は得ることができるだろうか。


 大切なひとを、二度と哀しませることのない未来を―――。






一周年記念の話を、店長とイリカ嬢の視点で書いて下さいました!
ありがとうございます、海梨さん!!もう、大好きです!!

[2012年 6月 24日]