まだ明かりのつく建物に、俺はほっとして扉をくぐる。
もう寝ちゃってたらどうしようかと思ったけど、大丈夫みたいだ。

玄関に入ると、ちょうど湯飲みを片付けているアンがいて。

「…さん?」
「こんばんは。こんな時間にごめん」
「あ、いえ、全然。えっと、どうされたんですか?どこか体調でも…」
「いや、仕事」

ここに俺が来るのは健康診断とか、もしくは怪我や病気をしたとき。
だから心配そうな表情を浮かべるアンに手を振って、大丈夫だと安心させる。
アンにはいつも心配ばっかりかけてるからなー、そういうイメージをいつか払拭せねば。
そう考えながら、手にしたふたつの紙袋を持ち上げた。

「えーと、こっちが看護師の試験の参考書?」
「え」
「看護師目指してる、って話をしたんだろ?それ聞いて、メイサが店長に頼んだって」
「ええ!」

メイサっていうのは、俺がよく通う古書店の常連の女の子。
いまではアンとも仲良しでよく連絡とったりお茶したりしてるみたいだ。
看護師の話もそのときにぽんと出たものだったんだろう。

「そ、そんな、わざわざ…」
「あとこっちはイリカから、おすすめの紅茶」
「イリカさんまで…?」

キルアと一緒にいつものケーキ屋に寄って、本を届けに行くって話をしたら。
これもお願いしていいですか?と珍しい茶葉を渡された。

「その場で俺も飲んだけど、すごくリラックスできていいよ。シャンキーと飲んでみて」
「……ありがとうございます」
「うん。三人、仲が良いんだな」

女の子たちが仲良いのって微笑ましくていいよなー。
紙袋を受け取ったアンが、感激してるのか目をうるうるさせた。
わわ、泣かないでくれよ、こういうときどうしたらいいか俺わかんないんだからさ…!

「あー、色男がアン嬢泣かしてるー」
「…あ、先生」
「シャンキー。………とりあえず、髪乾かしたらどうだ」
「面倒臭い」

ひょっこりと顔を出したシャンキーは風呂上りなのか髪が濡れてる。
長い髪から滴る水はかなりのもので、服とか濡れてるけどいいのかそれ。

「なになに?色男ってばこんな時間に来るなんて、アン嬢と逢引きか」
「せ、先生!」
「届け物をしに。二人とも起きてて助かった」
「今日はなんか忙しかったからなー、ようやくひと心地ついた感じ」

確かに、シャンキーちょっと疲れてる感じだ。
だいぶ遅い時間だし、そろそろ俺も失礼させてもらった方がいいかな。
別れの挨拶を告げようとしたところで、欠伸をしながらシャンキーが爆弾を落とした。

「んじゃ、二人ともごゆっくりー」
「「え」」

ひらひらと手を振るとぱたんと閉じる扉。
………………。
………………………………。

そして流れる、気まずい沈黙。
お、おおい、これをどうしろっていうんだ!俺もう帰ろうとしてたんだけど!?
アンをひとり放置していくのも気が引けるっていうかなんていうか…うわああ!

「えっと、さんは今晩どこに泊まられるんですか?」
「…近くで宿を探すつもりだったけど」
「じゃあ、ここに泊まっていって下さい。部屋ならいくらでもありますから」
「迷惑じゃないか?」
「まさか。これをいただいたお礼にはならないかもしれませんが、朝食を作らせて下さい」

そう言ってふわっと微笑むアンはまさしく白衣の天使だ。
非日常に囲まれる俺の荒んだ心を癒してくれるオアシスのひとつである。
本に覆われる至福の空間と、甘いものに満たされる空間というオアシスもあるけど。

じゃあ甘えさせてもらう、と頷けば嬉しそうにしてくれる。
くー、なんていい子なんだろう。明日の朝食が楽しみすぎてだな!

さん」
「…ん?」
「いつも、沢山の嬉しいものをありがとうございます」

ええ、なんでそこでアンがお礼言うの!?むしろそれはこっちの台詞!

「お互い様だから、気にしなくていい」

って、そうじゃないだろ俺えぇぇ!ここはありがとうって言うべきだろうがー!!
でもはにかんでくれるアンに、もうそれ以上言葉を続けられなくて。
…いつか、ちゃんとまた感謝の気持ちを伝えられたらいいなって思う。
アンはもちろんのこと、俺のオアシスたちに。





それで女運ないとか思ってるのは爆死していいレベル。

[2012年 9月 5日]