ランチの後のデザートを楽しむお客様は帰られて、ティータイムまでは時間がある、そんな時間。
店長から甘いものをもらって、カウンターで休憩していた。
本当なら、スタッフルームで休めばいいのだけれど、いまはなんだか、この店の雰囲気を楽しんでいたくて。
店長が淹れてくれたレモンの香りのするハーブティーに、私はほっと息をつく。
初めて、この店に来たとき、そして初めて店長のミルフィーユを食べたとき、とても感動したのを今も鮮明に憶えている。
だってそれは、私が外の世界に本気で出たい、と思ったことだから。
ケーキを食べることは許してもらえていたけれど、働きたい、と強く願ったのは、本当に初めてで。
だからこの店に、店長に出逢えて、雇ってもらえたことは、とても感謝している。
「イリカ、こっちのお茶も飲んでみる?」
「あ、はい」
差し出されたポットには、鮮やかな青。
飲み終わったポットを返して、その綺麗なブルーのお茶を見てみる。
普段は出さないお茶で、すごく興味をそそられる。
「これは?」
「そのまま飲んでみてから、レモン入れてみて。面白いからってお客さんにもらったんだ」
この間といっても随分前だけどね、という店長に、私は微笑む。
これはきっと、ケーキだけでなく、穏やかな午後を過ごすために置いてほしい、と頂いたもの。
そのお客様にとってここが、居心地のいい場所であるということ。
そんな店を提供できるのは、とてもうれしくて仕方がない。
いわれた通りに、香りと味を楽しんでから、レモンを絞ると、青からピンクに変化した。
「うわあ・・・・・・」
「気に入った? お客さんきたら出すんだから、ちゃんと憶えてね」
「もちろんです」
感動している私に一通り説明してから、店長は作業に戻ってしまう。新しいことを知れるのって、とても楽しい。
そんな風に思えるようになったのも、店長のおかげ。
ゆったりとした気分で過ごしていれば、入口の扉が開かれた。
慌てて立ち上がると、そちらにいた青年も少しだけ戸惑っていて。
「ごめん、早かった?」
「あ、大丈夫です。さんなら」
大丈夫、というのは、彼が常連客であり、こちらの行動をあまり制限しないでいてくれるから。
そういって微笑めば、よかった、と彼は頷いて。
「それ、新しいの?」
「あ、はい。お客様からのいただきものです」
いつもお出しする紅茶とは違うものを私がカウンターで飲んでいたからか、彼は興味深そうにこちらのポットを見る。
それに気づいて、私はさんに訊ねた。
「試飲されてみますか?」
「・・・・・・いいの?」
「美味しいのでぜひ飲んでみてください」
「うん。ケーキはいつも通りおすすめで」
こちらを窺う仕草に、私はにこりと笑うと、彼も少しだけ力を抜いてくれた様子で。
カウンターを片付ける前に、ハーブティーの準備を始めれば、彼の指定席へとさんは移動して、本を読み始めた。
今日はなんの本だろう、と興味をそそられつつ、作業場の店長に、彼が来たことを告げる。
「僕のオススメでいいのかな?」
「はい、そうです」
「うーん、じゃあそれに合わせたものをオススメにしようかな」
今日の店長の考えていたおすすめは、どうもこのお茶には相性が微妙だということで、少し考え込む。
確かに、香りと、途中で入れるレモンの風味で、いつもお出しする紅茶とは違う。
まあ、お客様によっては普段からレモンティーで飲む方もいらっしゃるから、気にしなければ、気にならないのかもしれない。
でも、似合うケーキとなると、またちょっと変えたい、という店長の言葉は理解できる気がする。
いつも店長のおすすめは、ケーキ名を出していないから、特に問題にはならないと思うけれど。
それに店長は、常連のお客様と、初めてのお客様では、扱いが違う。
たとえベースが同じケーキだとしても、同じプレートにはならないのがうちの店長だから。
さんは本当に長い間、この店に足を運んでくださっているから、店長の中でもトップクラスのお客様。
特には法則はないけれど、いつもこの店を選んでくださってありがとうございます、という感謝のしるし。
ご新規のお客様は、それに気付くことは殆どないのだけれど。
「お待たせしました。このお茶はぜひレモンも入れてみてくださいね」
「うん、ありがとう」
読んでいた本から視線を上げ、こちらを向いてそういってくださるさん。
きちんとこちらを認識して、言葉を発してくださるのが、とてもうれしい。
他のお客様ともお話をさせていただくことはあるけれど、殆どのお客様は自分の時間を過ごすことに重点を置かれているから、そんなにお邪魔はできない。
それでも、さんは、私の言葉に、丁寧に応えてくださって、すごく話していて気持ちがいい。
プレートを彼の前に置いて、お茶を淹れる。
お茶の味を生かすために、甘いケーキを選んだ店長。
白、とはいっても、対比するように鮮やかなソルベが添えられている。
いつもはさっぱりとしたフルーツ物も多いのだけれど、今日は濃厚なクリームがたっぷりの白いロールケーキ。
ふわふわのスポンジが、とても美味しそうで、離れた場所で思わずうっとりと眺めてしまう。
寒色系のお茶の色に、白いロールケーキのコントラストも綺麗。
今回は、お茶の色味を楽しんでいただくものなので、ティーセットはガラス製。
こういう店長のこだわり、ってすごいと思う。
「・・・・・・イリカ」
「はい?」
突然名前を呼ばれて、首を傾げると、彼は少し溜息をついて言葉を選ぶようにしてから、声を出す。
「そんなに見られると、食べづらい」
「・・・・・・あ、ごめんなさい!」
確かに、店内には彼しかいないこの状況で、ケーキを見つめていたら、とても変だ。
私は慌てて謝罪すると、カウンターにある自分の休憩用のお菓子を片付け始める。
んー、店長にあのロールケーキ食べたい、っていったら食べさせてもらえるかな?
あの中にあるクリーム、前に食べたとき絶品だったんだよね。
仄かに香る果実酒が入ったクリームが口の中で溶けて消えていく感覚を思い出しただけでも、美味しい。
うー、やっぱり、今日のご褒美はあのロールケーキにしてもらおう!
そんなことを考えながら作業していると、ティータイムの時間が始まって、ぱらぱらといつものお客様が入ってくる。
初めてのお客様をご案内しながら、この時間もまた、お客様の時間が増えていくと嬉しい、そう思った。
こちらの様子を窺う気配が多いかな。そんないつもと違う感覚に襲われた。
午後のティータイムが始まってから暫くは、そんなに思わなかったのだけれど。
窓から外を見やれば、なんということはない、普段の景色が続いている。
だけど、少し、いつもと様子が違う。
「そろそろ休憩入れて」
そこにいたイリカにそう告げれば、彼女は素直に休憩へと入る。
忙しさも落ち着いて、それほど手が要らない。そういうときにこそ、休むべきだと思う。
・・・・・・それに、どうも、周囲の様子がおかしいし。
なんだか、見られている、そんな気がしていた。
普段から感じているものとは違う、興味ではなく明らかな敵意。
敵意と表現するのはおかしいかもしれないけれど、そこにある悪意。
こんな視線を店内に向けられては、いい気はしないよ。
「店長? どうかしたんですか?」
いつも以上に周囲の気配を気にしている僕に向かって、イリカが心配そうな声を出す。
それに首を振って、大丈夫だから、との思いを込めてイリカに小さなムースを差し出した。
「なんでもないよ。これ食べたら戻ってね」
そういって微笑めば、イリカは僕の作ったものを嬉しそうに頬張った。
なんだか店長の様子がおかしい。いつも気ままなところがあって、普段からよく解らないひとであることは確かだけれど。
ミニ休憩を終えてフロアに戻ると、いまいらっしゃるのは常連のお客様ばかりだった。
フロアで紅茶を淹れて、お客様の接客。
新規のお客様だと、いろいろと説明することが多くて緊張はするのだけれど、常連のお客様はパターンが決まっていて。
笑顔で帰って行かれるお客様が嬉しい。お仕事で得られる充実感、好きなものを提供できている幸福感。
さんに出したお茶に興味を持たれたお客様から、オーダーが入ることもあって。
それなのに、今日はどこか違和感を憶えてしまっている私がいる。
いったい何だろう?
入口のチャイムが鳴るのに合わせて振り返れば、そこにはどこかで見覚えのある様な気がする男。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
えっと、どこで見たんだったっかな、誰だっただろう? と思って首を傾げていたけれど、様子がおかしい。
訊ねた問いに答えることなく、その男は連れと一緒に、傍にあったテーブルから蹴り飛ばしていって。
「・・・・・・離せ」
「そういわれてもなあ」
「・・・・・・!?」
紅茶を飲んでいた馴染のお客様の胸ぐらを掴んで、殴り掛かるのを見て、とても怖くなった。
なんで、なんで・・・・・・。
急いで絡まれた黒髪の青年の傍により、声をかける。
「大丈夫ですか、さん!」
その言葉に、彼は小さく頷いてくれて。
良かった、取り敢えず、あの男の拳は避けていたみたいで、傷はないみたい。
黒を基調とした服をまとっているの男たちが、まだ店内を荒らしている。薄々と状況は理解しているけれど、思考が付いてこない。
ガシャン、ガシャン、と大きな音がして、他のお客様が席から離れていても、お構いなし。
さんの傍で膝をつく私の肩に、男が手をかけてきた。
怖い、怖い。だけど、それどころじゃない。
「これ以上はやめてください!」
「確かあんたがイリカだったな?」
「・・・・・・?」
「一緒に来てもらおうか」
一通り、幸せな時間を崩してから、男のひとりが告げる。
こんなに店の中を荒らされて、すごく悲しい。ガラスケースも割られてしまった。
でも、これは、私が招いてしまったことで。
店長に申し訳ない。関係のないお客様を巻き込んでしまうなんて・・・・・・。
「最初から、私が目的だったんですか?」
「ああ、そうだ。そりゃそうだろう?」
私が招いたことだと意を決して、男に問いかけた。その男の目が、笑っている。笑っているのに、ひどく怖い。
平気で他人を傷つけられるその瞳は、濁っていて、嫌悪感が走る。
男たちの目的である私が出ていけば、この店をこれ以上傷つけられることはない。
それなら―――。
「これ以上、お客様に手は出さないと、約束してもらえますか?」
「・・・・・・大人しくついてくるんだな?」
その問いに、黙って頷く。男は不敵に笑って、私の手首をつかんだ。
強い力に思わずバランスを崩しかけたけれど、そのおかげで男の腕にある特徴的な刺青が目に入る。
あぁ、そうだ。この男は――――。
「イリカ」
「店長・・・・・・ごめんなさい」
精一杯の笑顔でそう告げれば、店長はなにもいわなかった。
きっと、わかってくれているはずだから。ごめんなさい。傷つけて、ごめんなさい。
大切な、大好きな空間を壊してごめんなさい。
発した言葉も虚しく、ただ空間に残響が残った。
すごく物騒な物音がすると作業場から顔を出せば、店は荒らされ、彼女が連れて行かれるところで。
イリカのことは心配だけれど、怪我をしたひとを手当てしなければ。
僕の店で、暴れるなんてこと、本当は許したくはないのだけれど、こればっかりは巻き込んでしまったお客さんを優先しなくては。
僕はこの店の責任者。怪我人の手当てと現場の修繕が最優先なのは仕方ない。
部下の起こしたことは、上司が責任取らなければならない。どんなに後を追いたくても、現場を放置するわけにはいかない。
何の罪のない、関係のない人間の平穏をここまで乱していった奴らは、嫌な感じがした。
どこかの三流であることは間違いない。
イリカの態度から、おそらく彼女の周囲にいた人間だということもわかった。
奴らもイリカが目的だからこそ、ここを荒らした。彼女は自分のことには頓着しないけれど、大事なものは、とことん大事にしたい性分だから。
自らのことは省みず、ただ、大切なものを護ろうとする。
それがすごく彼女らしくもあり、欠点だとも思っている。イリカはもっと自分のことを大切にしたらいいのに。
そんな彼女だからこそ、大切に思ってくれているこの店や、そこのお客さんを傷つけられて、黙っているはずがない。
でも、純粋な力では彼女は無力だ。それだったら、大人しく条件を飲んだ方がいいと考えたのだろう。
「大丈夫ですか?」
「ああ・・・・・いったいなんなんだ?」
「危険な目に遭わせてしまい申し訳ありません。ちょっと診させてください」
そういって謝れば、常連さんは、大丈夫だ、と告げてくれる。
こういう優しいひとたちだからこそ、彼女は護りたいと思ったわけで。
そして、彼女は自分のことで、このひとたちを傷つけたことをひどく負い目に感じているに違いない。
手早く傷の確認をしていると、そこに、ひとりの青年が歩み寄ってくる。
「店長、これは・・・・・・?」
「くんにも悪いことをしたね。大丈夫? 怪我はないかい?」
「俺は大丈夫。だけど、イリカが・・・・・・」
彼女が連れていかれた方向を視線で示す彼に、力なく首を振って見せる。
視界に入った拳がぎゅっと握られるのと同時にゆらゆらと揺れる気配。
いつも感じていたけれど、彼のオーラは、すごく不思議だ。
とても綺麗に練り込まれた、質の高いもの。かなりの使い手ではあるんだよね、きっと。
彼の周りのオーラの質量を改めて見つめて、そう思う。
「僕は、お客様の手当てが優先なんだ。イリカ自身、多分それを望んでる」
「・・・・・・なら、俺が行きます」
表情の変わらない彼の言葉に、一瞬言葉を理解できずにに、思考が停止する。
戦う術、持っているのかな、持ってるんだろうな、とは思っていたけれど、彼から申し出てくれるとは思わなかった。
ゆらゆら揺れるオーラがピリピリとした空気をはらんで、いつもの穏やかな彼とは異質なものになっている。
表情が変わらない分、オーラが反応するようにでもなっているのかな。
「ごめん、頼めるかい?」
「・・・・・・」
イリカのことは心配だけれど、僕は今すぐには助けに行くことはできない。
そんな想いを込めた言葉に、コクリと頷いてくれる彼に安心した。これで、僕は店の中にいたひとたちを優先できる。
基本的な念を使えば、それなりに戦えはするんだけど、如何せん、個人の念能力としては、戦闘向きじゃない。
それに、きっと僕が店を離れてイリカを追いかけていったら、きっと彼女は怒るだろう。
どうしても、その様がリアルに想像できてしまうから、苦笑するしかない。
彼は、天空競技場でも、随分といい成績だったみたいだし、何より資質が充分だ。
僕はここを離れられないから、イリカ救出を考えれば、彼に頼むしかないのかもしれない。
たとえ、それがイリカが望んでいなかったとしても、それでも彼女は大事なうちの店員だから。
「よろしく」
そう短く告げれば、くんは、すぐに店から出て行った。
そのスピードに、やっぱり、彼は強いんだな、と感心してしまう。
うん、スムーズなオーラ移動。彼なら、大丈夫だよね。
いまならそんなに位置も離れていないし、見つけてくれるはず。
そう思って僕は店内で怪我をしたお客さんの手当てを安心して行うことにした。
天空闘技場のケーキ屋さんシリーズ!
皆さんも楽しみにしているシリーズかと思われます、またも素敵なお話で。
頂いたお話を先に読ませていただいて、ひとりニヤニヤぐふぐふしておりました(危険)
[2011年 10月 2日]