「いい加減、離してもらえませんか?」
車に乗せられて、どんどん廃墟ビルの並んだところに近づいていく。
それでも手首は掴まれたままで、隣に座る男はナイフを持っている。
「ちょっと、確認したいことがある」
「・・・・・・」
そういって男が、私の腕に刃を当て、滑らせる。
浅い傷ができて、そして赤い血が流れる。人間だから当然なんだけど。
「間違いないようだな」
私を、私本人だと確認するために、わざとつけられた傷は、見る見るうちに消えていく。
浅い傷なら、傷がふさがるのはものすごく速い。これは、普通のひとなら、驚くところなんだけど。
これを驚かないのは、多分、研究所に関わっていた人物だから。
「この治癒能力は、高いんだろうな」
「・・・・・・・あなたみたいな人間には、きっとその価値はわからない」
「いってくれるじゃないか」
正直にいって、私は治癒能力が高いわけじゃない。
ただ単に、細胞が分裂する速度が通常より速いだけであって、個人としての治癒能力は決して高くない。
誰だって受精卵から胎児になるときの、細胞分裂の速度が速いように、ただ、私の細胞は、なぜだか常に普通のひとよりも速く分裂する。
つまりそれは、人工臓器などへの転用などには、私の細胞を使えば、ずっと早く研究が進むということを示していて。
結果が早く出る、有用な細胞。特に、傷つけられたとき、そこを補うための細胞分裂はすこぶるいいらしい。
人間誰だって、細胞分裂を繰り返して、肌が生まれ変わったり、傷を修繕したり、身体の中を周期的に新しい細胞と入れ替わっている。
でもまあ、それは臓器や部分によって、そのサイクルが微妙に違っていたりするのが通常仕様。
私の場合、肝臓を一部切り取って、誰かに移植しても、私の中の細胞はすぐに元の状態に治そうとする。
肝臓は普通のひとでも回復しやすい臓器ではあるけれど、私は半分切り取られても、2日後には元のサイズに戻っているらしいから。
これは普通では考えられないこと。
受精卵が、卵の中の遺伝子情報から、分裂を繰り返していろんな臓器を作り出すように、私の中の細胞は、色々なところに転用可能らしくて。
足りない、と判断されれば、すぐに補おうと細胞分裂を繰り返す。それは生命維持として必要なことだけれど。
「こんな身体、買うひとなんていませんよ」
「知らないのか? 希少価値の高いもの程、高いんだ」
微妙に噛みあわない会話に、辟易としながら、私は黙り込む。
私の身体は常に新しい細胞が次々と誕生する。一般のひとと較べると、ものすごく速いスピードで。
だけどそれはつまり、常に多くの細胞が死んでいくことを意味する。
一般的にいわれている寿命よりも、私の推定寿命が短いのは、勝手に猛スピードで分裂を繰り返すことで、エネルギーの消耗が激しいからだって聴いている。
研究室に移された細胞も、ある程度分裂を繰り返せば、役目を果たしたといわんばかりに死んでいく。
永遠に細胞分裂が続くということは、不老不死の人間がいないように、ありえない。
細胞が良いタイミングで他人の中に移植されれば、私の中にある細胞とは話が違うらしい。
こんな特殊な細胞でも、環境適応能力はあるらしく、移植された先の身体の細胞に時間を合わせることができる。
拒絶反応は、移植先では報告されていないと聴いている。
とはいっても、私はそんな『移植先』の人間とはあったこともないし、話したこともないから、症例をいくつか見ただけだけれど。
「降りろ」
そういって、男に引っ張られて連れてこられた先は、高いビル。でも、廃墟と化していて、誰もいそうにはない。
少しだけ、身を縮ませれば、早くしろ、と腕を引っ張られる。
なんだか、すごく嫌な感じがする。だけど、お店を傷つけられるのは、お客様を傷つけられるのは、もう嫌。
「連れてきました」
「ご苦労だったね」
薄暗い廃墟の中にいたのは、これも見覚えのある顔。
確か、少し前までうちの研究所の職員だった人間じゃなかっただろうか。やっぱり、名前は知らないけれど。
やっと解放され、自由の身になるけれど、抵抗するつもりはない。
私を連れてきた男の方を改めて見れば、やはりこの男も、誰かしらのボディーガードをやっていた男だった。
他人のためならともかく、己の欲に走る男が、身近にいたのはすごく悲しい。
でも、私はひとのことをいえないかもしれない。
私が望んだ、迷惑かけるかもしれないという危険性を承知で、店長のところに居座らせてもらった。
そして結局、お客様も店長も巻き込んでしまって。
ただ、少しだけ息抜きがしたくて、研究所から抜け出した先であの店と出会って。
すごく、癒されて、大好きになって。研究所だけでの生活では、つらくて。
定期的にサンプルを提供する代わりに、あそこで働くことを半ば強引に許してもらった。
それまでの、研究所の生活は、あまりにも窮屈で退屈だったから。
それを考えれば、当然の報いなのかもしれない。
ただ、自分の身体を他のひとに提供することが、唯一私にできていたことなのに、それを嫌がるなんて。
勤め始めの頃、様子を見に来ていた自分につけられていたボディーガードも、仕事中は傍にいてほしくないといったのも私。
そして、定期的に店の外で様子を見ていたひとたちを来ないでほしいといったのも私。
それがこんな事態になるなんて・・・・・・。
首を力なく振れば、いきなり隣にいた男が倒れた。
考え事にふけっていた私は、突然のことに目を瞬く。
事態が把握できずに、なんだろう、と思ってそちらを見上げれば、ここにあるはずのない黒髪が揺れていて。
「・・・・・・さん??」
「イリカ、大丈夫か?」
いつもと違う雰囲気の彼に、少々戸惑いながらも、こくりと頷いて見せる。
あれ、先刻と立場が逆・・・・・・?
床で伸びているらしい私を連れてきた男を見てから、改めてさんを見つめる。
これを、さんが・・・・・・?
いつも穏やかに、ケーキを食べているときとのギャップについていけずに、ただ呆然としてしまう。
それでも、やっぱり、大切な人が傷つくのはみたくなくて。
「さん、私のことは、大丈夫ですから・・・・・・!」
「大丈夫だから」
逃げてください、そう続けようとした言葉を遮って、さんはそう口にした。
頭に乗せられた掌のぬくもりに、溢れだしそうな想いで、胸がいっぱいになる。
「貴様は?」
「・・・・・・・・だ」
「名前を訊いているわけじゃない。何しに来たと訊いている」
挑発するようなさんの態度に、ここにいた『依頼人』は、怒りをあらわにする。
それでも、さんはすごく冷静で、まっすぐと男を見据えている。
ケーキ好きで、穏やかで、私なんかにもとても優しくしてくれて。
そんな彼が見せる、いつもと違う側面に、ちょっと怖くもなり、でも、どこか安心している私がいて。
「彼女は返してもらう」
「お前が彼女を有効に使えるというのか?」
その言葉に、私はなにもいえなくなる。
確かに、この男にとって、私は、ただのイイ実験材料だと思う。もしくは、ただ単に、転売されるのかもしれない。
怖い、けれど、でも自分の身の上なんてそんなものだっていうのは、よく理解していた。
いまの『家』は良くしてくれているけれど、彼らも、私の身体を使った研究が目的で、お金を払って私を傍に置いた。
待遇はいい。私が細胞の提供者だから、私に逃げられては困るから。
私自身、彼らが人助けのための研究をしていなければ、ここまで長い期間、一緒にいなかったはずだから。
「イリカは優秀な人間だ」
「なに・・・・・・?」
「お前には勿体無い」
自分の価値が、この分裂を繰り返す細胞にしかないと思っていた、そんな私に、ふとかけられた、優しい言葉。
さんの表情は見えないけれど、私の特殊な身体ではなく、私の人間性を肯定してくれたことに、涙が零れる。
彼がお店のお客様になって、どれくらいの年月が経っただろう。
店長のケーキを好んでくれているのは知っていたけれど、私にもその価値がありますか?
「さ・・・・・・」
「すぐ終わるから」
そういって、いつもと表情は変わらないけれど、雰囲気が柔らかくなった。
涙で揺れる視界で、さんは微笑んだ気がした。
次の瞬間には、その優しさはどこかに消えてしまって、『依頼人』を取り囲んでいた数人の男たちが、なぜだか知らないけれど、どんどん倒れていく。
そしてあの男の前にさんがいつの間にか移動していて。
あまりに速すぎて、なにが起こったのか、私は理解できなかった。
「二度とあの店に近づくな」
ただ静かな空間に、彼の低い声が響いた。
もう、状況なんて理解できずに、よくわからないまま。安堵したのと、なんだか別の幸福感と。
私の状況は、私を取り巻く環境は、私の身体は、何一つとして変わっていないのに。
なんだか、すごく、嬉しくて、涙が止まらない。
なにも、知らないはずなのに。私が私個人として認められたいなんて願望、話していないはずなのに。
どうして、そんなにも優しくしてくれるんですか?
「立てる?」
「・・・・・・はい」
差し出された手に、少し戸惑いながら手を乗せる。
強引に引っ張られないことが、こんなにも心地いいなんて。
周りを見渡すけれど、倒れている男たちは一様に気絶しているだけらしい。
どんなことがあろうとひとが死ぬことは望まない、彼の優しさが伝わってくる。
「じゃあ、帰ろう」
「ありがとうございます・・・・・・」
私の止まらない涙をそのままに、ただ一緒に黙って歩いてくれるさんが、すごく頼もしく見えた。
主人公が、なんかヒーローっぽい!(おい)
女の子を助けに駆けつけるだなんて、頑張った…!
大好きなケーキ屋さんの、癒しをいつもくれる店員さん。
その子と店長のためなら頑張りますよね!
…でもきっと、泣いてるイリカ嬢には素で声をかけられなかったんでしょう(ヘタレめ)
[2011年 10月 2日]