やっとお客さんの応急手当が完了して、みなさんに取り敢えず帰ってもらった。
 病院行くほどの怪我じゃないから、といってくれる皆さんは、すごく優しいよね。
 でも念のため受診を促して、もし異常があれば知らせてください、とはいっておいた。
 身内に火種があるのに防げなくて、護れなかった僕が一番罪深いと思うんだ。
 まあ、元々裏世界を知っている様子のお客さんも多いから、なんとなくだけれどそういうこともあるのだと、理解をしてくれているようで。
 本当に、表しか知らない人間は、旅行者くらいじゃないかな、って思うほど、この辺りには多いから。

 一段落した後に店の中を見回せば、それなりの被害状況。
 軽くため息をついて、どうしたものかな、と考えを巡らせる。
 うん、まあ、一週間もすれば、元通りに営業できるだろうけれど、ガラスケースは新調しないと無理だなあ。
 せっかく作って入れておいたケーキとかも、ガラスが割れて、危険な状態だし。
 そんなとき、窓の外に並んで歩いてくるふたりが見えた。

「お帰り」
「帰り、ました・・・・・・」

 すごく沈んだ様子で、でもどこか嬉しそうな表情でイリカがいうから、なにかいいことがあったんだろう。
 なにか、って別にイリカを連れ去った男と、って訳じゃないだろうね。
 十中八九、隣にいる彼絡みだろうから。

「うん。くんも、どうもありがとう」
「いや・・・・・・、俺は別に」
「ううん。君はイリカを連れて帰ってきてくれたから」

 何もしてない、という彼に、僕は、そんな謙遜しないで、と笑う。
 そんな茶化しを何とも思っていないかのように、彼はただ黙って店内を見渡す。

「店・・・・・・」
「ああ、うん。これは片付けないとね。業者にも入ってもらわないといけないかも」

 ぽつりといった感じで言葉が聴こえてきたので、それに反応すれば、僅かに彼の眉間に皺が寄る。
 彼は、僕のおすすめのケーキセットを注文して、視線の先にある壊れてしまったあの席で、いろんな本を読んでいることが多かった。
 それなのに、その位置には、ひっくり返ったテーブルが、そのままの状態である。
 申し訳ないな、常連さんの席がこんな状態で。

「・・・・・すみません、ご迷惑おかけしました」
「別にイリカは悪くないんじゃない? 君を狙ったやつが全部悪いんだよ」

 そういって笑えば、イリカは申し訳なさそうに眉尻を垂れる。
 その様子があまりにも彼女らしくて、微笑ましい。
 大丈夫、君が望んでそんな身体に生まれてきたんじゃない、ってことは、少なくとも僕は理解してるから。

「君の事情を知っていて雇ったのは僕だよ。こういうことになることを予想していなかったわけがないでしょ」
「店長・・・・・」
「だから君はいままで通り、ここで働いてくれればいいから」

 そう告げれば、彼女は泣き出してしまって。
 『家』であるはずの研究所にいるよりも、ここにいる方がいいと、泣いてくれる彼女が、すごく嬉しい。
 ただ甘いものが好きで、好きなものに触れていたいと思っている彼女の純粋さが伝わってくる。
 それでも、やはり、迷惑をかけた、という負い目は消えないようで。

「これから、もっとここで働いて、いろんなひとを笑顔にすること。それが君の償いだよ」
「・・・・・・・! ありがとう、ございます・・・・・・っ」

 深く深く、礼をする彼女が望んでいるのは、きっと、ただ単に無条件に許されることではない。
 自分が悪いと思っている人間は、なにか償いを求めるものだから。
 そう思ってかけた言葉は、どうやら外れてはいなかったらしい。

「あ、そうだ。店はいまは営業できないけど、作業場には無事なのがあるんだ」

 それを思い出して、ふたりを交互に見てから、にっこりと笑う。

「今日はありがとう、くん。イリカも疲れたでしょ? 甘いものでも食べようか」

 そう告げてから僕は、作業場に引っ込んだ。








 店長、怒ってなかった。怖いくらいに怒ってなかった。
 それどころか、まだこの店にいてもいいと、そういってもらえて、とてもうれしい。
 カウンターの中で紅茶を淹れながら、さんを見る。
 すごく、うれしい言葉をもらったのに、それでも不安になる。
 私は、こんな想いを抱いてもいいのかな・・・・・・。

「・・・・・・本当に怪我はない?」
「あ、はい。お陰様で大丈夫です」

 視線が合った途端にそう問いかけられて、反射で答える。
 確かに、ナイフで切られたけれど、その傷はもう塞がっているし、特に危害を加えられる訳でもなかった。
 それに、そんな展開になる前に、さんが来てくださったし、本当に感謝しきれない。

 大量に血を抜かれても、それなりの時間で回復してしまう、私の身体。
 普通の人間が死ぬようなレベルでも、私は貧血程度で済む。
 だから、より多くのひとに、その血が使えるようになるわけで。

「少し怖かったですけど、慣れてますから」
「イリカ・・・・・・」

 少しだけ微笑んで見せれば、さんが視線を外す。
 あ、やっぱり慣れている、っていうのはまずかったかな? こんな危険な毎日を送っていると思われちゃうかな。
 でも、それでも。やっぱり、いつもは店長がお菓子で癒してくれるところに、いまは、さんもいてくれて。

「本当にありがとうございます」
「・・・・・・・」

 心の中から自然と湧き出た言葉は、さんには届かなかったのか、いまだに視線を合わせてもらえない。
 うーん、気まずくなるのは、嫌ですよ・・・・・・?

「はい、お待たせ」

 紅茶を丁度淹れ終わったころ、店長がプレートに装飾を施したケーキをのせてきた。
 その綺麗な細工に、思わず見とれてしまう。
 店長は、無事だったカウンターに座っているさんの前にそれを置くと、にっこりと私たちに微笑んだ。

「ふたりとも、無事でいてくれてありがとう」
「・・・・・・」
「店長・・・・・・」

 にっこりと微笑む店長に、私は先刻も泣いてしまったのに、涙が溜まる。
 だけど、きっと店長なら、接客業は笑顔が大事、と注意するはずだから。

「本当にありがとうございます。これからも精一杯頑張ります!」

 精一杯の笑顔で言葉を紡げば、店長は微笑んでくれる。
 さんにも、深々と頭を下げれば、視線を外されて。
 えっと、やっぱり、気まずいのは嫌です。

さ・・・・・・」
「俺が好きでやったことだから、気にしなくていい」

 そんな彼の言葉が、胸を温かくしてくれて、今度こそ本当に笑顔が浮かぶ。
 本当に、私は優しいひとに恵まれてる。
 いままで、身体については、生まれたときから付き合ってるから、特に何も思わなかった。
 だけど、だけど・・・・・・。

 こうして、私に優しさをくれるひとたちに、精一杯恩返しがしたい。
 私の身体のことで、誰も傷つけたくないし、迷惑をかけたくない。
 大好きな人たちだから、大切な人たちだから。

 私でも護りたいと思えるものが、できた喜びを噛み締めて。
 そして、胸に宿った、暖かい想いを抱きしめて。
 これからも、店長の素敵なケーキを皆様に届けられるように、頑張ろうと改めて心に決めた。










 事件から時が流れて、日常がかえってきて、暫く。僕はちょっと困っていたりする。
 常連のお客さんが、知り合いのパーティに僕のケーキを贈りたい、っていってくれて、特注のケーキを予約されて、それを作ってたんだけど。
 先刻電話があったんだ。ケーキの配達を依頼人から請け負ったひとが、なんかトラブルに巻き込まれてこれなくなった、って。
 んー、でも、作っちゃったし、配達先も聴いているし、ここからそう離れた場所でもない。
 パーティは予定通り行われるらしいし、これを店に置くのはおかしいし。
 お客さんも、すごく申し訳ない、っていってくれてたし、どうせなら、届ける方法はないかな。
 僕は、店から動けないし、イリカも無暗に外には出ない方がいい。変なのに目をつけられると厄介だし。
 まあ、ぱっとみは普通だから、そう心配することはないかとも思うけれど、どこで誰がイリカの情報を知っているか分からないのは事実。
 彼女は傷がすぐ治るとはいえ、身を守る術は持たないから。

「うーん、どうしようかな・・・・・・」
「どうかしたんですか?」

 お客さんの会計を済ませたイリカが、作業場から出てガラスケースの前で唸っている僕を不思議そうな表情で見る。
 最近は、前にも増してすごく頑張ってるんだよね。えらいえらい。

「頼まれてたケーキなんだけどね、運んでくれる人が都合つかなくなっちゃったらしくて。そんなに遠くはないんだけど」

 あぁ、もう、これ崩しちゃおうかな。
 そんな風に考えていると、帰るところだったらしい黒髪の青年が口を開く。

「俺でよければ届けましょうか?」
「ん? そういえば君は運び屋やってるんだっけ?」

 そういって首を傾げれば、彼は首肯することで返事をしてくれる。
 んー、でも、プロの運び屋となると、お礼は・・・・・・・。
 元々お客さんが手配してくれたひとに渡すだけだったからなぁ。

「どうしよう、お礼はどうしたらいい?」
「美味しいもの食べさせてもらってるし、特には」

 いや、それはまずいよね、プロ意識持った方がいいよ。
 でもまあ、そんなにお礼は出せないのが現実ではある訳で。

「ごめん、うちの1か月無料、とかでも頼めるかな?」
「・・・・・・住所教えてください」

 ・・・・・・・・・・・。
 その間はなんだったんだろう。ちょっと気になりながらも、彼に送り先の住所を渡す。
 それを見て頷いている所を見ると、場所はわかるみたいだね。
 さっそく保冷剤とケーキがずれないように、ケーキを箱に入れて、君に渡す。

「よろしく頼むね。受け取りサインももらってくれるとうれしい」
「わかりました」

 結構大きな箱だけれど、彼はケーキの形が崩れないように留意してくれて、店から出ていく。
 それを見送って、彼はいい青年だなあ、と改めて思う。
 まあ、うちの常連さんになってくれる人間は、裏も表もない、ただ純粋にケーキを好きでいてくれる人たちだから、僕に対しては裏切らないと信頼しているけれど。

 うーん、そういえば、あのお客さんが妙なこといってたっけ。 


『そのパーティは大変興味深い人間が集まるところなんです。中には“悪趣味”と世間でも評される人間もいますが、ここのケーキは私のお気に入りですから、皆さんにも喜ばれると思うんです』

 まあ、“悪趣味”がどの程度か知らないけれど、普通のパーティではないんだな、と思う。
 大丈夫だよね? とその場は片付けて、他の作業に移ることにした。






 どうしよう、声をかけづらいな。でも紅茶のお代わり持って行った方がいいよね。
 さんが店長のケーキの配達を請け負ってくださって、そして受け取りのサインを届けてくださって、そのまま雪崩れ込むように客席に。
 今日のおすすめケーキはもう食べていたから、次なるケーキをなんだか、黙々と食べているのだけど。
 その背中が、どこか自棄になっているようで、少し心配になる。

「あの、紅茶のおかわりは?」
「ありがとう。ついでにケーキも追加注文していい?」
「え、ええ。もちろん大丈夫ですよ」

 なんだか焦るようにしてケーキを食べる彼の姿は、いつも穏やかに食べている彼とは別人のようで。

さん、何かあったんでしょうか・・・・・・」
「うーん、まあ、無料券で耐えてもらおうか」

 そういって暢気に笑う店長の反応が気になったけれど、私は彼にケーキを運ぶことしかできない。
 この距離感がもどかしいと同時に、壊したくないと感じている、今日この頃です。


 



無料券につられたら、妙なお客さんのところに行ってしまった主人公。
…どんな悪趣味なことに巻き込まれたんですかね(笑)
おいしいケーキを食べることで、気持ちを浮上させてもらいましょう、うん。

海梨さん、本当に素敵なお話をありがとうございます!
もう日々の楽しみになっております(笑)


[2011年 10月 2日]