まぁ、わかっていたことだけど、それでもこの時期の注文は、異常。
 うん、いや、愛しいひとにプレゼント、というのはわかるけど、ね。
 ケーキやクッキーなどの甘いものは特に女性に喜ばれるとあって、男性からの注文も多い。
 普段うちの店を利用しない堅物そうな男性が、愛するひとに、と予約する様は可愛らしいしね。
 僕は僕が作ったものに自信があるし、彼らも美味しいと認めてくれてるのなら、なぜ普段から利用しないのか、とも思うけれど。
 それはそれ、これはこれ。毎年うちを選んでくれるだけありがたいよね。
 クリスマスと並んで、大幅に売り上げがアップするこの時期は大切。
 だけど、実は困っていることもある。

「はあ」
「店長、大丈夫ですか?」
「うーん」

 接客がひと段落したのか、調理場に顔を出したイリカに、僕の深い深いため息を聴かれる。
 彼女が来てから、僕は作るのに専念できるようになって、忙しいこの時期も、こなせるようになった。
 これまでもバイト君が入る時期もあったけど、任せっきりになれなかったから、助かってる。
 デザインも配合も決まって完成品もできた。
 問題は。

「どんな包装が好み?」
「えっ、ラッピングですか??」

 小さめのケーキに、トリュフ、バラを模したチョコレート。
 主に予約を受け付けた3種類は、普段ここに来ない客にも、常連客にも受け入れられた。
 男性にも、女性にも、喜んでもらいたい。
 味だけなら満足してもらうことはできる。けど、ラッピングは僕はいつも頭を抱える。
 お菓子じゃないものって壊れやすいから好きじゃない。
 包装するにしたって、僕がやるならシンプルなのがいいに決まってるんだけど。

「バラのチョコレートはシンプルにセロハンでいいんじゃないですか?」
「ひとつひとつ巻くとなると、時間かかるけど」
「三角の袋状にしてみるのは?」
「うーん」
「ラッピングなら私やりますし」

 その言葉に、よろしく、と微笑む。
 彼女が、任せてください! と意気込む姿が可愛らしくて頭に手を伸ばす。
 そのままぽんぽんっと頭を撫でれば、へにゃりと相好を崩すものだから、少し考える。
 猫や犬だと、かわいいな、と思ったら抱きしめてもいいけど、さすがに女の子だからなぁ。
 力いっぱい抱きしめれば仔猫たちは苦しいといって逃げ出すけど、彼女は抗議すらできないんじゃないだろうか。
 こういうスキンシップには慣れてないはずだから、抗議していいものかどうか悩むんじゃないだろうか。
 うん、やめておこう。僕が普通のことだと教えて、他のひとに同じことされても抗議しなかったら困る。

「うん、でもあまり無理はしないでね」

 可愛い可愛いと猫を可愛がるように抱きしめたくなっても、それはしてはだめ。
 彼女は愛玩動物ではないのだから。
 そんなことを確認しつつもう一度頭を軽く触ると、満面の笑みが返ってきて、胸が温かくなった。





 店長は少しお疲れモードみたい。
 この時期はいつにもまして忙しいから、仕方がないのかもしれない。
 ガラスケースに並ぶ店長のケーキたちは、相変わらず綺麗で。
 先刻見た、バレンタイン限定商品も綺麗だったなぁ、とため息がこぼれる。
 店長の作るケーキや他のお菓子は、とても綺麗で、そして優しい味がする。
 無暗に甘くならず、無暗に苦くならず、無暗に酸っぱくならず、無暗に華美じゃない。
 心の中がほんわり倖せという灯りが温めてくれるような、そんな。
 心底ここのケーキが大好きだと自信が持てるから、お客様にもどれを推しても満足してもらう自信はある。
 だけど、まだまだ失敗は多いから、気を付けないと。

「こんにちは」

 入口のベルが鳴って、女性のふたりぐみが入ってくる。
 私はそれに笑顔で応対して、席へと案内する。

「どれを注文すればいいですか?」
「お好きなものを」
「あたしたち、バレンタインの予約もしたいんですっ」

 その言葉にきょとんとしてしまう。
 以前バレンタインの特集とかで雑誌が取材に来たことがある。
 雑誌に載せる取材が来たのは随分前だった気がするけれど、店長はなんだかすごいことを云っていた。

「『新規のお客様のバレンタインのご予約は店内お食事の方のみご案内させていただきます』って書いてあったんですけど」

 記事の切り抜きに目を落として、女性がいうのを聴いて、思い出す。
 あ、そうか、そうだった。
 少々お待ちください、と笑顔で告げて、調理場に急ぐ。

「店長、バレンタイン新規のお客様ですっ」

 若干焦って扉を開ければ、店長は調理台に突っ伏していた。
 ん、あれ、調子悪いのかな。
 そんな風に思いつつも、もう一度呼びかければ、ゆっくりと顔をあげる。

「え、ホントに新規のお客さん?」
「はい、雑誌の記事を読まれたようで」
「あのくらい面倒なものにしておけば、今年はこないと思ったのに」
「今年は?」
「去年は電話予約のみ受け付けます、って記事にしたら大変なことになったんだ」

 店長はため息を吐きつつ、腰を上げると、僕が対応するから、とホールに出ていく。
 その後ろ姿を見送って、口元が緩む。
 やっぱり、店長はすごい。こんなにも愛されてる。
 そんな店で働ける私はなんて幸せ者なんだろう、と胸が暖かくなるのを感じ、今後の勉強のため、お客様の元へ急いだ。

「お待たせいたしました。バレンタインのご予約ですか?」
「そうなんです。どれを注文すれば、予約させてもらえます?」
「私たち、ずっとここでバレンタインのお菓子買い損ねてて、今回やっと辿り着けて」

 彼女たちの言葉に、店長は微笑むと、持っていた紙を渡す。
 そこには3種類のお菓子が紹介してあった。
 その写真に、目をキラキラさせるお客様は、本当に楽しみにしていたんだとわかる。
 バレンタインは感謝と好意を伝える日だと店長から聴いた。
 大切なひとに甘いものや花などを贈って、笑顔を分かち合う日だと。
 そんな特別な日を、喜びを分かち合いたいと願うひとがいる倖せを噛み締めるように、選ぶチョコレート。
 選ばれるものが、うちの、店長のものでとても嬉しい。
 きっと、贈った相手も笑顔になるはずだから。

「ご予約承りました。明日の受け取りですね。では、店内で召し上がるものはこちらからお選び下さい」
「はいっ」

 予約が決まったらしく、店長は笑顔でいつものメニューを差し出す。
 こちらに目配せすると、近くに来るように合図された。
 店長が手で示しているところをみて、来るかどうかわからないけれど、次に新規の予約が入ったときに備える。
 明日が本番なのに、こんなギリギリにくるひとも珍しいとは思うけれど。

「はい、よろしいですよ。では、少々お待ちください」

 店長は始終笑顔で対応している。
 お客様もとてもうれしそう。私もあんな風になれたらいいのに。
 調理場へと向かう店長のあとを追いかけた。




「ベルガモットとアールグレイだって」
「あ、はいっ」

 調理場に入った所でお客様から聴いたオーダーをイリカに伝える。
 彼女は慌てたようにお客さんが見渡せるカウンターに出て行った。
 今日のご新規さん、甘ったるかった。うん、慣れてるけど、視線が、甘い。
 まぁ、男のひとにもそういう目でみられることもあるから、それと較べればまだいい方。
 尊敬とか、信愛とか、そういう類も僕には似合わないけど、あれはね。
 大事なひとがいるからうちの店を選んでくれたんじゃないの? そう問質したくなるような視線。
 常連さんも、彼女たちのピンク色というか、黄色というか、紫というか・・・・・・そんな声色に、こちらを振り返っていた。
 美味しいといって食べてくれるのは嬉しいけど、なにもしてないうちから色めき立たないでほしい。
 純粋に味で選んでほしい。だから、僕自身、記者の人に顔はNGって云って、店内とケーキの写真しか出さないのに。
 自意識過剰かと思われるかもしれないけど、小さい時から性対象として育ったら自衛するのが当然だと思う。
 勘違いであることを願うけど、今回のお客さん、確実に最初から僕のこと知ってたよね。
 イリカ目当ての男性客もいるにはいるけど、ちゃんとケーキを楽しんでくれてる。
 会話もイリカ個人のことじゃなくて、ケーキや紅茶に関することらしいから、問題ない。
 でも、ね?
 クリームが勢いよく調理台に飛び出す。
 これ以上考えていると、確実にデコレーションに影響が出るから、やめておこう。
 泡立てなおしたクリームを少しだけ添えて。
 シンプルな形は、ご新規さん。
 常連さんには愛を込めてじっくり時間をかけるけど、やはり一見さんとかにはそこまでの愛情は込められない。
 プロ失格といわれても、僕だって人間だから。
 テイクアウトの方には何もサービスしてあげられないのが哀しい所だよね。
 まぁ、お持ち帰り限定商品もあるんだけど。
 常連さんだと僕のライフサイクル知ってるから、いつ限定商品が作られるか、大体把握してるし、メリットはあると思う。
 調理場から出て、イリカにプレートを渡すと、軽く店内を見渡す。
 あ、やだな、こっち見てた。
 その視線も、イリカが行くと外れる。うん、ケーキに集中しなさいって。

「わぁ、きれーい」
「かわいいー」

 そのまま店内を見回すと、こちらをにやにや見ている眼鏡の男。
 あー、その視線もあったから気持ち悪かったのか。
 先刻のお客さんの黄色い声を聴きながら、ひらひらと手を振る男に近づけば、ちょいちょいっと座るように促される。

「イライラしてるでしょ。はい、あーん」

 そういって僕が作ったケーキをスプーンで僕の口に運ぶ。
 口に広がるのは今日は作る予定がなかったのに、来るっていうから作るしかなかったティラミス。
 ほんのり苦くて、ほんのり酸っぱくて、後味は何も残らない。

「モテる男はつらいねー」
「男だからモテてるわけじゃないと思う」
「あら、俺のこと?」

 笑顔で聴き返してくる男に、こくこくと頷いて見せれば、困ったように笑われる。

「そりゃラフィー君が可愛かったから」
「シャンキーはユっちゃんも口説いたでしょ」
「うんうん、美人さんが傍にいるって倖せだよねー」

 ダメだ。ユっちゃんがいればちゃんとツッコんでくれるのに、話がどんどん脱線してる。
 むぅ、っと小さく膨れれば、シャンキーの笑顔が柔らかくなる。
 もう一度スプーンを差し出されるのでそのまま口に入れれば、あれ。なんか違う。

「? これなに?」
「俺からの愛の証☆」
「え、気持ち悪い」

 口から出して、なにを口に入れられたのかみると、ビニールの中に小さく畳まれた紙。
 それをどうやって仕込んだのか、聴いても怒られないと思うよ。とんだ混入事件なんだけど。
 まぁ、シャンキーから差し出されたものを食べるのなんて僕くらいかもしれないけど。
 つらつらと綺麗な文字で綴られた手紙。だけど、これ僕宛じゃない気がする。
 シャンキーを心配する女の子の文字。ところどころダメだしもされてるけど。
 そのまま2枚目を見れば、今度は別の紙に別の字で特殊な果物を使ったタルトのイラスト。
 て、これ、薬の注文書の裏紙なんだけど、どうなの、いいの?

「アン嬢いいこだからさー」
「プレゼントにこのタルト?」
「そうそう、ここまで俺のこと気遣ってくれる子にプレゼントなしってのも男として情けないでしょー?」

 楽しそうに目を細めるシャンキーは、部下想いの上司、といったところだろう。
 医師と看護師という関係は、僕とイリカの関係に良く似ている。
 女の子が成長していくのって、可愛くていいよね、と前に会ったときにも話した。
 ユっちゃんが犯罪臭いからその言い方やめろ、って怒ってた。

「これ、バレンタインなの? 流石に仕入れてないんだけど」
「イベントには関係なくあげたいんだ。ラフィー君が今日明日忙しいの知ってるし」
「じゃあイベント過ぎてからでいいよね」
「うんうん、楽しみにしてるー」

 どこなら手に入るかな、と考えながらシャンキーと別れる。
 少しすっきりした。気遣いしないでいい相手だと、いいよね。
 ユっちゃんは定期的に来るけど、シャンキーは足を運ぶこと自体が珍しい。
 シャンキーの好きなハーブティーも仕入れようと心に決めて、作業に戻った。



「先生、ちょっと待って下さい」
「どったの?」

 いつも通り、ご馳走様、と声をかけただけで出て行こうとするシャンキー先生を呼び止める。
 首をこてんと傾げる先生に、カウンターの裏から小さな包みを渡す。

「これは?」
「明日は日頃の感謝を伝える日だと店長から聴いたので」
「いい子だねー。てことは、ラフィー君にも用意してあるの?」
「はいっ」
「ありがとう。君がラフィー君の傍にいてくれてよかった」
「先生?」

 ぽんぽんっと頭を撫でられるままにしておけば、ふいに真面目な表情で先生がしみじみというものだから。
 どうしたのだろう、と思って首を傾げれば、なんでもないよ、と笑われた。
 店長の掌も、先生の掌も、温かくて、でもどこか寂しそうで。
 なんだか泣きたい気持ちが込み上げてくるけれど、笑顔で見送った。
 嬉しいけど、切ない。こんなによくしてもらうと、場違いな気さえしてくる。
 でも、私にできるのは、精一杯笑顔でお客様を迎えること。
 だから、倖せな気持ちでいても、いいですよね?





海梨さんからいただいたケーキ屋さんシリーズ!(いやっほう!!)
なんと今回はシャンキーまでも登場であります。
あ、そして話題に出ている「ユっちゃん」ことユリエフくん。
彼は呪術師シリーズの店長さんであります。色々なところとコラボ(笑)。

[2012年 2月 7日]