くんってさ、通い妻だよね」
「・・・・・・?」
「昔の物語でさ、旦那さんが奥さんの所に通ってくるってのがあってね」

 店長の話を聴きながら、どこかさんと共通点があるだろうか、と考える。
 しかし、旦那さんが通ってくるのに、通い妻、とはどういった表現なんだろう。
 少し首を傾げながら片付け終わった店の中、直々に店長から作り方を教わる。

 店長は、お菓子だけじゃなく、料理もすごく上手。
 本人は『僕の専門はケーキだから』と謙遜していたけれど、そんじょそこらのレストランよりも美味しいと私は思っている。
 休憩時間に食べるちょっとしたものも、いつもさっと作るのに、すごく美味しくて悔しくなる。
 店に並べるものを作った後、いろいろと新作のケーキの研究をして、その合間合間にイートインのお客様のデコレーションをしている。
 傍から見ればぼーっとしているだけのときも、アイディアを練っているときだから、無暗に話しかけない方がいいことをこの年月で学んだ。
 本当に大切なことならば怒らないけれど、タイミング悪く話しかけると、普段ないくらいに盛大なため息を吐かれる。
 そのあとは切り替えて笑ってくれるけれど、後ろめたい気持ちは拭えないのも事実。

 さんは、私がお店にお世話になりだした初期の頃からこちらに顔を出してくださっているお客様。
 美味しそうにケーキを食べる姿が、とても可愛らしくて、素敵だと思ったのが第一印象。
 それから少しずつお話をさせていただくようになって、ピンチの時には助けていただいて。
 どんどん新しい、知らなかった一面を知っていっても、それでもやはり、印象は変わらなくて。
 遠くに出かけて、珍しいものがあると届けてくださる優しいひと。
 本当に感謝しても感謝しきれない。

 そんな彼に精一杯の感謝を伝えたくて、店長から少し凝ったものを教わっている。
 さんは舌は肥えているから、そんじょそこらの味では満足させることはできないだろう。
 さんの好きな甘いものを、さんが好きな店長のケーキの味を、店長直々に教わるのは、少し贅沢なような気もするけれど。
 だけどやはり、自分の手で作ったものをどうしても食べてもらいたくて。
 何度も失敗しながらも、なんとか形になってきた。
 不器用な私は、デコレーションが最大の難関だけれど、今回はそれもなんとかうまくいって。

「うん、合格なんじゃない?」

 店長に審査してもらう。見た目、味、技術。
 一流の位置にいるひとから合格をもらうことなんて、本当に難しいことは知っている。
 だけど、いままで何度も『不合格』の烙印を押されたから、一瞬なにをいわれたのか解らなかった。

「え、あ、え??」
「これなら店に置いてもいいよ」

 にっこりと笑ってくれる店長に、嬉しさがこみ上げる。
 まだ、このレシピしかマスターできてないけど、一種類だけでも店に出せる、といわれたら。
 ずっとずっと憧れていた店長の味に近づけたのなら。

「・・・・っ! ありがとうございます!」
「うん、3か月よく頑張ったね」

 来る日も来る日も材料をいくつもダメにする日々。
 責任を持って食べたけれど、やはり自分で食べてみても店長の味には程遠く。
 しょんぼりと項垂れて家に帰れば、お父さんにもう店は辞めろ、といわれるし。
 先がないことは解ってはいる。見込みがないことも解っている。
 私がどんなに頑張っても、店長のようにはなれない。

「これならくんも喜んでくれるんじゃない?」
「そうだと嬉しいです。あ、そろそろ帰ってくる頃ですよね」

 運び屋として日夜忙しいさんが定期的にここを訪れることは難しくて。
 仕事が忙しいことはいいことだけれど、やはり危険と隣り合わせの仕事だと聴くと、心配になる。
 長期間、遠くで仕事をしているさんがここに来て、和やかな時間を過ごせるように、いつも笑顔で迎えるように心がけて。
 心配してました、なんて伝えても、さんの足かせになるだけだと知っているから。
 できるだけ自然に、気負い無く過ごせる様に、私も特別構うことはしないのだけれど。

 いつも、助けてもらってばかりで。
 私にできることといえば、すごく小さなことだけ。
 それなのに、さんにはたくさんの倖せをもらっている。
 随分と前にお土産に頂いた、何故だか私のことを護ってくれるペンダント。
 転んだときには傷ができないように、火傷をしたときには痕にならないように。
 再生が速いから、傷が残ることはないのだけれど、いつもと違う感覚。
 そのペンダントは、5回目の怪我をしたとき、急激に色褪せて砕け散った。
 さんからせっかく頂いたものが壊れてしまって泣いていると、店長が『やっぱりちゃんと、お礼しなきゃね』って云ってくださって。
 頂いたお礼はずっとしたかったから、密かに特訓はつけてもらっていたけれど、その想いは、店長にはバレていたみたい。
 それから、それまで以上に頑張った日々を、店長が褒めてくれるというのが、少しくすぐったい。


「そろそろ、なんですけど・・・・・・」
「うん、まぁ、取り敢えず片付けようか」

 店長に促されて、調理場の片付けを始める。
 小さな窓に映る光に、外がもう暗いのだと理解した。
 お店を閉めてからどのくらい経ったのか、壁掛け時計を見て確認しよう、とフロアに出たとき。

「・・・・・・・こんばんは」
「・・・・・・っ!」

 まだ鍵をかけてなかった入口の扉が開く。
 ユリエフさんとか、シャンキー先生とか、時間外のお客さんもいるけれど。
 声を聞いて、振り向いて、目に映ったのは。
 闇に溶けそうな黒髪と、暗闇でもはっきりとわかる、澄んだ瞳。

さん、おかえりなさい」
「・・・・・・うん、ただいま」

 嬉しい気持ちを抑えて、彼の重荷にはなりたくないから。
 いつもの席を用意して、そこだけロウソクの灯りをつけた。

「いまお持ちしますね」
「ああ」

 仕事帰りに、自分の部屋ではなく、まっすぐこの店に来てくれることが多くなって。
 疲れた表情をすることも多いけれど、ゆっくりとこの店ですごす内に自分の中で解決しているようで。
 店長も、彼が旅から帰ってくる時期には、こうして夜遅くまで私を残しておいてくれる。
 遅くなれば、結局家まで送り届けてもらってしまうけれど、それでも、待っていたいと思う私の気持ちを優先してくださる。

 紅茶を淹れて、先程できたばかりのケーキを冷蔵庫から出して、柚子のシャーベットを添える。
 ココアスポンジと、クランベリーのムース、ココアクリーム・・・・・
 何層にもなったケーキの上に、ほろ苦いチョコレートのコーティング。
 見栄えは大事だから、と何度も何度も及第点がもらえなかったそれも、今日のは合格。
 こってりとしたコクのあるチョコレートケーキに、さっぱりとした柑橘系のシャーベットで口直し。
 味の違う素材が口の中で混ざり合い、とても倖せな気持ちになる、店長のケーキの中でも特に私も気に入っているもの。

「どうぞ」
「ありがとう」

 さんが気負わず食べれるように、気になるけれど傍を離れる。
 店長が中を片付け終わったのかこちらに出てきて、にこにこしている。
 ちらちらとさんを気にしている私の頭を撫でて、よかったね、と笑う。
 口に合わない、ということは無さそうだけれど。

「おかえり、くん」
「あ、帰りました。今日のもすごく美味しかったです」
「そう? 今日のはイリカ作だよ」
「え」

 暗い店内で、少しだけ見開かれた瞳に、私は焦ってしまう。

「あの、私、頂いた、前に、ペンダントのお礼を・・・・・・!」
「うん、落ち着こうね。大事なことは伝わるように伝えなきゃ」
「・・・・・はい。頂いたペンダントに、この間すごく護ってもらったので、そのお礼をしたくて」
「・・・・・・・ペンダントが?」
「はい。ありがとうございました」

 深々とさげた頭に、ぽんぽんっと暖かい感触が。
 顔を上げれば、僅かに微笑んでいるさんがいて。
 普段、本当に表情の変化が見られないけれど、それでも、長い付き合いの中で、なんとなくでもその変化がわかるようになって。

「なら良かった。あまり無茶はしないで」
「そうだよね。5回限定アイテムだと護るのは難しい程よく怪我をしちゃうから」
「店長・・・・・・」
「・・・傍で護れれば・・・・・・」
「・・・・・・え?」

 焦りすぎて聴こえなくて、思わず聞き逃した言葉を求める。
 さんはこちらを見ていた瞳を不意に逸すと、ため息をついた。

「・・・・・・さん?」

 怪我が多過ぎると呆れられたのかと思って、不安になる。
 聞き返しても、閉まっている窓の外に視線を向けたまま。
 昼間なら、窓が空いている時間なら様になるが、いまは夜。
 天空闘技場付近は夜でも賑やかではあるけれど、バーも近くて酔っぱらいが多い。
 夜景が見えるほど高台ではないから、外を見ていてもそんなに面白くないのに。
 いよいよ不安になってくると、店長が『ちょっと確認してもいい?』と言葉を発した。

「今日のケーキの感想は?」
「・・・美味しかったです」
「いつも食べたいくらい?」
「・・・・・・まぁ」
「あれは僕の味だけど、僕は店があるから、イリカでいい?」
「・・・・・・」
「・・・・・・店長?」

 店長の言葉に頷く彼に、首をかしげる。
 云われている意味がわからなくて、戸惑っている私に向かって店長はにっこり笑ただけ。

「じゃぁ、式場の手配しないとね。それからお父さんへのご報告はできる?」
「きちんと手順を踏めば認めてもらえますかね」
「うん、まぁ、条件は色々出されるとは思うけど、そんなのは適当に頷いておけばなんとかなるよ」
「・・・・・・そうですか」
「少しずつ認めていってもらえばいいんだから気負うことは何もないよ」

 人差し指を唇に当てて考える様子は、いつもと変わりない。
 だけど、話している内容が、どうも。

「あの、えっと、店長?」
「これからますます花嫁修業しなきゃね。料理は僕が教えるとして、一般教養はユっちゃんに頼もうか。衣装はシャンキーが詳しいと思うよ」
「花嫁・・・・・・? 誰がです?」
「君が、だよ。くんにいっぱい美味しいもの作ってあげたいでしょ?」
「それは、喜んでいただけるなら、勿論」
「うん、奥さんになって、毎日、ね?」
「・・・・・・・・え?」
「だよね、くん」

 さんの反応が気になって、そちらを見れば、穏やかに頷いてくれていて。
 え、あの、えっと・・・・・・。

「傍にいて、俺に護らせてくれないか」
「え、あの、さん」
「・・・・・・ダメ?」
「あの、私でよければ、喜んで・・・!」

 混乱する頭で、胸に溢れる倖せな気持ちを精一杯表現する。
 私でいいのか、とか、一緒にいられる時間は少ないのに、とか、色々と考えるけれど。
 それでも、それならそれで、私を選んでくれたさんが、一番倖せだと思える時間をたくさん作ればいい。

 私にできる精一杯を、あなたと過ごす時間に。




海梨さんよりいただきました、ケーキ屋さんシリーズのプロポーズ編です。
とりあえず主人公、そこ代われ。

[2012年 10月 26日]