「そろそろ休憩入れれば?」
「・・・・・・・うぅーーーー」
僕が声をかければ、スタッフルームに雪崩れ込むように入って行くイリカ。
その部屋を実際に今使っているのは僕と彼女しかいないのだけれど、まぁ、女性が出入りする部屋だから、僕が無闇に立ち入ることはしない。
ここにバイトに入ったことのある子はみんな女の子だったし。まぁ、結局割とすぐに出て行ったのだけれど。
店長には付いていけません、それが常套句。
まぁ、それを聴いたイリカが代わりに怒ってくれたから、僕は何も思っちゃいないけど。
イリカだって万能じゃない。当然体調が悪いときがある。
食べ物を扱っている都合上、体調が優れないときは来るな、と言い渡してある。
まぁ、今日みたいに、別にウィルスが原因じゃない体調不良のときは、来ちゃうことがあるけれど。
「立ちっ放しはきついんでしょ。お客さんも少ないんだし、こっちで座ってれば良いのに」
「それじゃ呼びにくいじゃないですか」
むぅ、とむくれる彼女に、ふぅ、とため息をついて、壁に寄りかかる。
「ここは元々僕一人でやってたんだから、君が休んでもなんとかなるの」
「・・・・・・なっ、店長私を戦力外だと仰るんですか??」
「君がいてくれて、とても助かってるのは事実だけど、無理をされるのは迷惑」
きっぱりとそう告げると、イリカの瞳がゆらゆらと揺れて。
引き結んだ口元が、ふるふると震えているのが見て取れて、明らかに我慢しているのがわかる。
「ちょっと待ってなさい」
そういって僕はその場を後にする。
調子が悪いコンディションで仕事をするのを店長は好まない。
家のこととかを引きずるのは良くない、と思ってる。でも、家のことを忘れるためには、仕事に来るのが一番だったわけで。
それが迷惑、っていわれると、さすがに凹みます、店長。
店長が出て行った先から視線を逸らすと、涙を零すまいと天井を見つめる。蛍光灯の灯りが、滲む。
ここでは、大好きな甘いものに囲まれて、幸せチャージできるはずだったのに、過ぎる、昨夜の言葉。
凹んでいるのを見透かされているのは承知の上だったから、お客様にはわからない程度に、発散させていたら、迷惑かけちゃったわけで。
店長、あれ、相当怒ってるのかな。やだなー、ここ追い出されるの、絶対やだー。
ん。ひょっとして店長、契約書とか取りにいったんだろうか。解雇処分とかされるんだろうか。
私まともな職に付いたのここが初めてだったから、その辺の決まりよく解らない。え、どうなるのー??
「ほら」
パニックに陥っていた私は店長が入ってきたのに気づいていなかった。
鼻腔をくすぐる甘い匂いに、視線がテーブルへと移動する。
「エネルギー補給。それで元気出しなさい」
色鮮やか、とはいい難い光沢のある艶やかな茶色い外観に、思わず感嘆の溜息をついた。
するとくすくすと笑う声が聴こえて、思わず見上げる。
「いや? 君は本当に素直だなぁ、と思って」
悪気はないんだよ? そういって尚笑い続ける店長に、ちょっとむっとしながらも、フォークを受け取り、ケーキにさす。
コーティングされたチョコレートに抵抗をうけ、それを割ると、中のココアスポンジがふんわりと迎えてくれる。
何層にもなったスポンジとクリームは、違いが殆どわからないほど、すっとしていて、抵抗感がない。
どうして、こんなにも何層にもできるのだろう・・・・・・工程を何度も見ているけれど、納得できない。
たまに作業を手伝っているけれど、ここの部分はやはり納得できない。
私が作ると、ここまで薄くできない・・・・・・。やっぱり、プロなんだなぁ、と感心しながら、一口に切ったケーキを口に運ぶ。
口内に広がる甘さと苦さが丁度いい。やっぱりこの人が作るケーキ好きだなぁ。
「・・・・・・そういえば、最近来ないね」
「・・・・・・・?」
店長がお客様から見える位置に寄りかかって、ホールを見ている。
一瞬、何のことか解らなかった私も、口の中のものを嚥下してから頷いた。
「弟さん連れの・・・・・・?」
「弟さんは実家に帰ったみたいだけどね」
その店長の返答に、目を瞬く。えっと、店長、それはいったいどういう意味なんでしょうか。
首をかしげて苦笑いをすれば、店長が笑いながら説明してくれた。
店長によると、天空闘技場参加者というのがネットに載っていたそうで。
200階到達した途端、そのデータが消えていたらしい。
闘技場参加者、っていう噂は本当だったんだ・・・と妙に感心しつつ、首をひねる。
「じゃあ、弟さんと一緒に帰ったんじゃないんですか?」
「うーん、でも、別に兄弟って訳じゃないみたいだし、案外近くに住んでるかもしれない」
その言葉に、またも思考が停止する。
あんなに仲のいい他人同士がいるだろうか。友達とかじゃなくて、本当に兄弟に見えたんだけど。
慌てて止まった思考を再起動させると、考えつつ、残りのケーキを口に含む。
店長が入れてくれた紅茶を飲むと、それは綺麗に溶けて喉を通過する。
なんだろう、上手く思考が纏まらない。
「休憩おしまいです。ありがとうございました」
「いいえ、どういたしまして」
店長なりの気遣いに感謝して、皿を片付けにカウンターの洗い場で皿を洗っていると、黒髪のお客様が目に入る。
だけどそれは彼ではなくて、表情がない、のは同じだけれど、もっと、なんだろう、無表情に輪をかけたような長髪黒髪のお客様。
彼だったら、もっと興味深そうにショーケースを覗いているはずだし、もっと楽しそうな雰囲気のはず。
そう、私が甘いものを前にしたときに出すテンションを抑えた感じ。
「お決まりですか?」
ショーケースを覗いている、のだと思うのだけれど、視線が下に移動している以外は直立不動だから、表情がよめない。
どれを選んでいるのか、それすらも判らない。
そんなお客様に声をかけるとゆっくりと視線が上がってきて、私の視線とぶつかる。
「・・・・・・?」
瞬間、何か違和感を憶えた。寒いような、怖いような、得体の知れない、何か。
ぐらっと身体が傾きそうになるのを必死で支えて、笑顔もそのまま、もう一度問う。
「どのようなケーキをお求めですか?」
次の瞬間には違和感は消えていて、青年はショーケースの中を指差していた。
その先を目で追えば、真っ白いクリームに、フルーツが乗った、ショートケーキ。
「これ、包んで」
「ショートケーキですね。おいくつお入れしましょうか?」
「ここにあるの、全部」
その言葉に、一瞬ぽかんとしてしまうが、慌ててかしこまりました! と口にして、カラカラと扉を開ける。
・・・・・いるんだなぁ、並んでるの全部下さい、ってお客様。そんなことを考えながら、トレーに並べてあるケーキをすべて乗せ、それを箱詰めしていく。
普通の箱じゃ、入りきらないし、かといって大きなひとつの箱じゃ偏るし。
結局手持ちではない箱に二段に分けてつめて、紙袋に入れてお会計。
「ショートケーキ、24個ですね」
「カードで」
「はい、お預かりします」
ケーキをカード払いされることなんて、滅多にないものだから、内心焦りながらレジを打つ。
その間黒髪長髪のお客様の顔を覗き見たら、思いっきりじっとこちらを見られていて、慌てて手元に視線を戻す。
あの、そんなに見られると作業がしづらいんですが。
「ありがとうございました」
「・・・・・・弟がここのケーキ好きみたいだから」
「・・・・・・弟さんですか?」
「うん」
そういって彼はくるりと踵を返して店から出て行く。
えっと、弟さん、弟さん・・・・・・うーん。誰だろう。
「あー、彼、ゾルディック家のひとか」
「え、店長お知り合いですか?」
「ん? いや、こないだ少年のこと調べてるときにゾルディック家の写真も出てきて」
「・・・・・・で、そのゾルディックっていうのは?」
「君も名前くらいは聴いたことあるんじゃない? ほら、暗殺家業やってる」
その言葉に私は呆然としてしまう。え、嘘、お陽様の下堂々と歩いて大丈夫ですか、お兄さん。
暗殺家業っていったらあれだ。人殺しを生業にしている、ってことで。それで稼いでるってことで。
国家の重要人物とかも暗殺しちゃうひとたちが家業としてなりたってるんだよね。
えっと、それって、つまり。
「何でそんなに平然としてるんですか店長」
「僕の作ったもの気に入ってくれてるならお客さんであることに変わりはないからね」
その言葉に、私は何もいえなくなる。そうだ。私だって店長に受け入れてもらったひとり。
店長は表のひとだろうが裏の人間だろうが、そこは重視しないひとだった。
ぎゅっと拳を握り締めて、私は自分の反応を恥じ入る。
お客様は、お客様。
それが徹底できない私に、ここにいる資格はあるんだろうか。
「大丈夫」
頭に店長の大きな手が乗せられる。
「君はよくやってくれてるよ」
私の不安をかき消すようにぽんっと撫でてから、店長は作業場へと姿を消した。
天空闘技場のケーキ屋さんシリーズ。またも書いて下さいました!
主人公行きつけの素敵なお店。そこでの日常風景であります〜(にやにや)
いやしかし、イルミが買いに来るとか恐ろしいですね…!しかもそっちが本当のお兄ちゃん!(笑)
[2011年 7月 30日]