「いらっしゃい」

 ことり、と置かれたカップに青年は資料から顔を上げた。

「・・・・・・いつものひとは?」
「イリカ? 今日は遅刻だよ」
「ふぅん・・・・・・」
「今日も僕のオススメで良いのかな」
「あ、はい、それで」
「君は美味しそうに食べてくれるから、今日もサービスするね」

 彼がこの店の常連になって久しい。
 最近では、お気に入りの席が空いていれば、案内されなくとも勝手に行っても誰も構わない。
 イリカがいつも淹れる紅茶と、僕の作るケーキが彼のお気に入りのようで、リピートしてくれている。
 一時期、ちょっと足が遠のいたかな、って思った時もあったけれど
 というか、ここは小さな個人店だから、僕以外はいつもイリカくらいしかいないのだけれど。
 たまーに、途切れ途切れでバイトの子が入るけど、僕の気まぐれについてこれなくて、辞めちゃう子が多い。
 その点、イリカは、僕のケーキを気に入ってくれてるから、就業時間にあわせてデコレーションしたケーキをあげてれば、次の日もちゃんと来る。
 うん、ちゃんと働いてくれた分のお金も払ってるけどね。

 ふむ、で、今日のオススメ、何にしようかな。
 今日は、久しぶりにデニッシュを焼いたんだけど、デニッシュってパンってイメージが強いお客さん多いからなぁ。
 僕としては、充分にお菓子として通用するんだけど。
 シロップ漬けのフルーツとカスタードが埋め込まれたデニッシュ生地に、クリームで装飾を施していく。
 甘さは控えめのクリームに、コントラストをつけるようにフランボワーズと真っ白なバニラアイスを添えて。
 冷凍のフルーツと、飴細工も添えれば、それなりに豪華・・・・・・というか、さすがに豪華にしすぎたかな。
 ま、いいか、今の時間は他のお客様も少ないし。バレナイバレナイ。

「遅れましたー」
「あ、いいとこに来た。これ、彼に出してきて」
「っと、うわ、豪華ですね、これ・・・・・・って彼?」
「うん、いつもの席に来てるから」

 そういってイリカにプレートを押し付ければ、一瞬、目を瞬かれて。
 作業場から見える位置に座る彼を指差せば、頷いて、もう既に着替え終わっていた彼女は、プレートを運ぶ。

「じゃ、頑張って」

 僕の言葉に、イリカは疑問符を飛ばしていたけれど。
 彼の傍で笑う彼女を見れば、やっぱり青春って良いよね、って思うのだ。



「お待たせしました」
「ありがとう、ちょっと待って」

 資料を捲る手を止めて、顔をあげる彼。
 ケーキの置き場所を確保してくれるのが、いつもの手順。

「ここ、置いて」
「はい」
 
 がさがさと端に寄せられた資料に、彼は天空闘技場の出場者じゃなかったんだろうか、と目を瞬く。
 あれ、でも、店長がこの間見たときには写真がなくなってた、っていってたかな。
 いわれた通りにプレートを置いて、空いていたカップに紅茶のおかわりを注ぐと、彼は、もう一度、ありがとう、といってくれる。
 そんな律儀なところが嬉しくて、いつも他のお客様にしている営業スマイルではない笑顔がこぼれる。
 いつか店長がいってた。笑顔は接客の基本だけれど、本当にうれしい時に出る笑顔ほど素敵なものはないんだよ、って。
 だからたぶん、私は今いい表情をしている。心から嬉しいから。

「今日は一段と、多いですね」
「あー、良いのが手に入ったから」
「だからおひとりなんですか?」
「別にいつも一緒って訳じゃない」

 なんの資料だろう、そう思って、思わずそこに立ち尽くせば、見る? と問いかけられて。
 思わず、お客様になんてことを、とどこか穴があったら入りたくなった。
 それでも、資料を手渡してくれるのを断ることはできなくて、邪魔をしたかな、と申し訳ない気持ちになりながらも受け取る。
 ケーキが好きな彼が、同じくらい好きなものって、なんだろう。ただ単純に興味がわいたから。

「遺跡の資料」
「古代遺跡ですね・・・・・・お客様はそういった関係のお仕事を?」
「単なる興味。・・・・・・でいい」
「??」
「名前。みんなそう呼んでるし、お客様だとなんか落ち着かない」

 心底居心地悪そうに、ため息を吐かれる。
 いけない、ここはお客様の癒しの空間でなければいけないのに。
 びっくりしたけど、私はそう思いなおして、おずおずと口を開く。

「えっと、では、さん・・・・・・? 私はイリカと申します」
「うん。この店、ケーキ美味いし紅茶美味いし、気に入ってるから」

 私がぎこちなく、彼の名前を呼べば、満足そうにうなずかれる。
 そして、気にするな、といわんばかりに、お客様扱いをやめて欲しい理由を述べる彼、さん。
 それに、ありがとうございます、と応えれば、ケーキを一口含んで、もう一度うん、と頷いてくれた。

「そういえば、店長さん、今日サービスしすぎだと思う。美味いし、レート以上の値段取られないの知ってるからいいけど」
「くすくす、気まぐれなんですよ、うちの店長」
「ん、そうなんだ」
さんが、いつもうちでケーキ食べてくださるんで、店長もさんが喜ぶことしたいんだと思います」

 そういって微笑めば、さっと視線をそらされる。なんだろう? と思って目の先を追えば、窓の外に黒い人影がある。
 あ、・・・・・・まずいな、仕事場には来ない、って約束なのに。
 そう思って私は心の中でひとつため息をつくと、それが表情にでないように気を付ける。

「それでは、ごゆっくりどうぞ」
「んー」

 フォークを咥えながら資料に目を落とすさんに、そう告げると、視線をあげないまま応えがかえってくる。
 私のちょっとした一言にも律儀に返してくれるさんが嬉しいはずなのに。私はそのまま作業場の店長の下へと向かう。
 ダメだ。先刻のあれを見たせいで、気分が激しく沈んだ。せっかく心からの笑顔がでていたのに。
 オーブンの前で腰を伸ばしていた店長に、おずおずと声をかければ、振り向かないまま、いいよ、といわれる。
 ここに来たときから、事情は説明してあった。それでも雇ってくれている店長に、感謝しなければ。



 作業場から出て、店内を見渡す。
 携帯をぽちぽちと操作して、今いるのが常連さんだけだと判って、大きく伸びをした。
 常連さんは僕がこうやって適当に力を抜くのを容認してくれているから助かる。
 まぁ、それぞれの時間に没頭していて気付かないお客さんが多いだけかもしれないけれど。
 時間つぶしに来ているわけじゃなく、本当に紅茶とケーキを楽しみながら時間を楽しんでくれているのがわかるから、こちらとしても気分がいい。

 ただ、妙な人間がうちの店に来ることもある。
 別にイリカが悪いわけじゃない。ただ、時々、紛れ込んでいることがあるだけで。
 裏社会と呼ばれる世界に生きる人間は少なくない。
 まるっきり表だ、っていってる人間の方がこの地域は少ないかもしれない。
 まぁ、まっとうに生きてる人間だって、何かしら裏の恩恵を受けている、という程度で、認識はしていないだけかもしれない。
 この地域には天空闘技場なんてものもあるし、それで賭け事をしている人間だって、観戦して楽しんでいる人間だっている。
 それが善か悪かなんてことは僕には関係ない。それで生きている人間がいる、ということだ。

 だから、うちに来るお客さんも、善人か悪人か、ということではわけない。
 ただ単純に、うちのケーキと紅茶を楽しんでくれるかどうか。

 それだけでうちの客になる資格があるかないかが決まる。

 何を生業にしていようが、悪人であろうが、うちのケーキを楽しんでくれるならそれは間違いなくお客さんだ。
 ただ、最近は、というか、イリカを雇ってから、明らかにケーキ目当てじゃない客が来る。
 それが、イリカという店員目当てなら別に構わない。イリカの紅茶を楽しんでくれているのならそれでいい。
 それで、少しイリカとの会話をして、それで満足するのなら、いい。

 ただ、彼女目当ての客、というのは、それだけじゃなくて。

 ふぅ、と息を吐き出したあと、窓の外へと視線を移す。
 背の高い男と、エプロンを外した表情を曇らせたイリカが話をしている。・・・・・・あの男、誰だったかな。
 彼女は家のことは一通り、迷惑になるかもしれないから、と話してはくれたけれど、正直興味はなかった。
 僕のケーキを心底気に入ってくれた彼女が、ここで働きたいというのに、作るのに専念したかった僕は頷く以外になかった。
 彼女の家が、彼女の境遇がどうであれ、彼女が望んでそうなったわけではない。
 不可抗力でその形に収まっているのに、彼女の望みを無視することはしない。

 飽くまで、イリカはイリカだ。それ以上でも以下でもない。

 雇ってからも、ここの仕事を憶えるのにイリカは頑張ってくれたし、仕事もうまく行っている。
 それなのに、彼女を取り巻く「家」という環境が、彼女の望みを摘み取ろうとしているのなら、それは許せない。

「おかわり、どうだい?」
「あ、いただきます」

 常連の彼の紅茶がなくなったのを見計らって、声をかける。
 すると、反射的にカップをずいっとこっちに差し出される。彼はイリカが淹れるときもいつもそうだ。
 小さな仕草ひとつひとつが、細やかというか、小動物というか。
 よくこちらに気を遣ってくれているな、というのが分かる。何気ない仕草ではあるのだけれど。
 客としてサービスを当然のように受ける、という態度をしない彼に、イリカがひどく感激していたっけ。
 小さな言葉のひとつひとつにちゃんと反応してくださるんです、と接客に大分慣れて、酷い客も経験した彼女が感動したようにいっていた。
 そんな風に相手を、ただの店員でも気遣えるって素敵だと、そういって嬉しそうに笑っていた。

「彼女、来てたんじゃ・・・・・・」
「あぁ、ちょっと席を外しててね、気になるかい?」
「いや、別に・・・・・・」

 ケーキを運んできたのはイリカなのに僕が紅茶を淹れにきたのを不思議に思ったのか、そんな言葉を発する彼に問いかける。
 少し気まずそうに視線を外す彼を見遣って、その視線を追えば、先程の男が店の傍から離れていく所で。
 あぁ、なんだ、彼は気づいていたのか。なかなか、観察力があるみたいだ。
 ふぅん。まぁ、どっちでも構わないけれど、観察力ってのはあって損はないよね。
 
「ありがとう」
「・・・・・・?」
「いつもイリカが喜んでるよ。君がくれる『ありがとう』が嬉しいって」

 そう告げれば、心底わからない、というように、少し眉を顰められたけれど。
 僕はそれに苦笑して、他のお客さんの所へと移動した。








主人公、きっと恥ずかしくて目を逸らしただけに違いない(罪な子!)
店長さんも店員のイリカさんも、只者じゃなさそうな匂いがぷんぷんと…!
こうして皆さんの手で、この世界が広がっていくことが本当に幸せです。
…しかし主人公は良い男に見えるなぁ…外側しか知らないと。

海梨さん、素敵な贈り物をありがとうございます〜!


[2011年 7月 30日]