うん、明日の仕込みはこれでいいかな。
 時計を見やれば、10時を回ったところ。まだもうちょっと作業しても明日には差し支えない。
 業務用冷蔵庫の中身を確認すると、明日使うであろう材料の他に、いくつか期限が差し迫ったものがある。

「あー、もったいないよね」

 卵、牛乳、バターといった期限の近づいた使っていないものを取り出し、粉物類を仕舞ってある棚から小麦粉やら砂糖やらを取り出す。
 期限が差し迫ったものは、そんなに大量ではないから、作る量も中途半端だ。
 だからいつも商品棚に並ぶわけでもないし、これからも常に置くつもりはない。
 いつものお決まり商品になってしまえば、配合とかを一定に保たなければいけない。
 だけどこれは、期限切れ間近のものに常備しているものを組み合わせた、いわば、その時限りのものだ。
 配合を保とうと思うと、残りもの、あまりものだけでは作れなくなってしまう。

「今日はシナモンでも入れようかな」

 紅茶の茶葉と、ココアパウダーと、シナモンと、色々なものを見比べてから決定。
 オーブンを使っていた熱で、もう既にバターがいい感じになっている。
 大量に作るときは、主に機械を使うが、この量なら洗い物が面倒だし、自力で作った方がいい。
 バターをレモン色になるまでエアレーションして砂糖を加え、白くなるまでさらにエアレーションしていく。
 卵黄を加えてさらにエアレーションを続け、粉をふるいながら加え、切るように混ぜ込む。
 シナモンの香りがふわっとかおる。
 スプーンで天板に落としていき、オーブンに入れる。
 あまった卵白は、明日シフォンにでも使おう。

「さて、と。焼きあがったら終わりだね。掃除と洗い物をしとこうか」

 鼻歌を歌いながら一日働いてくれた機器を磨いていると、オーブンが焼き上がりを知らせる。
 扉を開くと一気に熱気を開放するそこは、シナモンの香りで充満していた。
 そこでふと思い至る。

「うーん、あそこの食材切れかかってたなー」

 手際よく焼きあがったクッキーをクーラーに乗せて冷ましている内に、ごそごそと棚の奥の方を漁る。
 明らかに既製品ではなく、手作りといった風合いを持つ透明の瓶には、手書きでこう記されている。

 『マル秘香辛料ハーブマル秘掛け合わせ』

 香辛料とはいっても、別に辛いわけではない。
 いわゆるハーブとかいったものと同じものの類なのだが、各地で採れるものを自分の中で配合してある。
 その辺で売っているものもあれば、雑草として生えているものもある。
 厄介なのは、現地の極狭い地域にしか自生しない上に、そこか危険地帯で誰も入っていかない、とかいったものも配合されていることだ。
 そんなもの、市場に出回る訳がない。美食ハンターがたまにブラックマーケットに出しているが、それじゃとても追いつかない。
 瓶の中身を確認するが、やはり使えるのはあと4、5回といった所。
 これを使うメニューは結構考案していて、お馴染みとなっているものもある。これは如何だろう。
 数量限定で売っているものだから、売る日を事前に予告していると、店頭に並んだが最後、売り切れるまで1時間はかからない。
 自分の調合に自信は持ってはいるが、これほどまでに人気商品になってしまうと、少々怖い。
 売らなくなったら苦情が来るんじゃないか、とか。
 ケーキを好きだといってくれるお客さんがいてくれてこそ成り立っている店だ、その客を敵に回すのはさすがに怖い。
 ケーキを楽しまない客はお断りだが。とっとと帰れとも思う。それだからこそ、楽しみにしてくれるお客さんは大事にしたい。

「明日は営業するとして、明後日からしばらくは、ちょっと食材仕入れに行かないといけないかなー」

 そう思って、イリカにメールをいれる。
 別に起きてから確認してくれればいいや、と思って送ったのだが、起きていたのか、案外早く返信が来た。

 『またですか? 食材が切れる前にわかってよかったですね』

 明後日から暫く休んでいいよ、としかメールには書かなかったのに、彼女はこちらが食材を探しにいくことをちゃんと了解してくれている。
 ああ、そういうのもわかるくらい長い付き合いになったのだな、と改めて実感しながら、ありがとう、とメールを打つ。

 
 



「・・・・・・」

 がっくりと項垂れた様子をみせる青年がひとり店の前に立っている。
 長期間手入れをできない店内を整理しようと店に来たとき、そんな青年を見つけた。

「あ、れ・・・・・・えっと、さん?」
「あ、イリカ」

 こんにちは、と私が声をかければ、律儀に返してくれる常連の客に、彼の目の前の入り口を開けた。

「中へどうぞ? お茶をお淹れします」
「え、でも、休みって・・・」
「店長が私に置いて行ってくれたお菓子もありますから。急にお休みになってしまってすみません」

 そういいながら、預かっている鍵で店を開ける。
 大々的に店を開くことはできないが、せっかく来て下さった常連のお客様とお茶を飲むくらいは許されるだろう。
 そう思ってにっこりと笑うのだけれど、なぜかさんは中には入ってこなくて。

「大丈夫ですよ? さんなら店長も怒ったりしません」

 なにを不安になっているのだろう? そう思って声をかければ、さんは一歩踏み出す。
 そして開店準備もされていない店内をもの珍しそうに見つめる。

「・・・・・・」
「すみません。今日は何も準備できてなくて」

 ゆっくりと空間を見渡す彼に、お茶淹れてきます、と断ってから、器具を準備しに作業場に入る。
 きれいに磨かれた器具たちは、主が帰ってくることを、静かに待っている様子。
 ふと店長からのメモが貼ってあるのに気付いて、冷蔵庫を開ける。
 
 『イリカへ 生ものだから持って帰ってね。ドライアイス冷凍庫に有。』

 冷蔵庫の中にそんなメモが貼ってある器を発見して手を伸ばす。
 大きさに比べて思ったよりもずっしりと重いそのものを発見して、笑みがこぼれる。

「店長、憶えててくださったんですね」

 その大量のムースに、どうやって盛り付けよう? と首をひねる。
 店長がいつもお店に出すときは、確かココット型に入れて作ってある。
 だけどこれは、私専用に作ってくれたらしく、なぜか大雑把にひとつの型に入っている。
 お湯を沸かしつつ、赤、白、茶色のマーブルになっているムースをきれいに盛り付ける方法を考える。
 涼しげなガラスの器に、いつも店長がソルベを盛り付けている大きめのスプーンですくって、彩りを考える。
 本来ならソースが付くところかな、と考えて自分の分も盛り付けていると、中からソースが出てきた。
 何のソースだろう? 店長が合わせたんだから、美味しいはずだけど。
 店長がいつもきれいに飾り付けるほど、うまくはできなかったけれど、ソースも飾り付けて。
 紅茶を蒸らしている間に、その状態でさらに冷やす。

「えっと、他に持って帰るものは・・・・・・」

 あの店長が長期間店を空けるのに、ムースだけで済ますわけがない。
 そう思って昨日の夜冷蔵庫にあったであろうものを想像して、作れそうなものを考える。
 店長は、基本的に夕方には店を閉める。そこから買い物をして次の日の仕込みをする。
 だから、今日の買い物はしなかったはずだから、そんなに残ってはいなかったはずだけれど。
 棚にシフォンケーキを見つける。そういえば、帰る前に、『シフォンと焼き菓子はあるはずだから』といっていたけ。
 棚の横にメモが貼ってあり、そこにはお店で使っているギフト用の箱。
 そこに入ったオリジナルギフトの詰め合わせに、目を瞬いた。

「これ、私に、ですよね?」

 思わずそこにはいない店長に問いかけたくなる程、私が好きな物ばかりの詰まった箱。
 クリームも大好きだけれど、もちろん、マドレーヌやフィナンシェといった素朴な焼き菓子も大好きだ。
 個包装こそしてないけれど、ぎゅっと詰め合わされたそれらに、笑みが止まらない。
 紅茶も蒸らし終わったことだし、ムースもいい感じだ。
 作業場からカウンターへと運び出すと、さんが僅かに表情を和らげる。

「お待たせしました」
「いや、ありがとう」
「今日はお休みなので、私もご一緒させてくださいね」

 そういって微笑めば、こくりと肯かれて。
 緋色の紅茶が青みを帯びた茶器に鮮やかに映えて、心地よい香りが立ち上る。
 ムースがひんやりと咽喉を通っていくのが気持ちいい。

「・・・・・・そういえば、店なんで休み?」
「店長、不定期で食材仕入れに行くんです。だから、暫くはお休みなんです、予告なしですみません」
「・・・・・・・そっか」

 時間がゆったりとすぎていくのが心地よくて。
 少しだけ、このタイミングで店に来てくれたさんに感謝した。




 
天空闘技場のケーキ屋さんシリーズ。今回は店長がメインで非常においしいです。
只者ではないと思っていましたが…すごいなぁ、材料集めるために店休業とは。
主人公、せっかく来たのにやってなくてがっくりしただろうなぁ(笑)

[2011年 8月 16日]