初めてアンを書いたときは、レギュラーメンバーになるとは予想していませんでした。
[2012年 5月 14日]
「さん、お風呂できました」
「……あぁ、ありがとう」
ノックして病室に入ると、本を閉じたさんが焦げ茶色の瞳を細めた。
いまではこれが笑ってくれているのだとわかるから、私も笑顔を返して近づく。
「お手伝いしますか?」
「大丈夫。傷はもう塞がってるし、皆が心配性なだけだ」
「それぐらい、大変だったんですよ。私も胸が潰れるかと思いました」
「…ごめん」
淡々とした声が少しだけ低くなって、申し訳ないと思ってくれているらしい。
さんは色々と複雑な仕事だったり世界だったりで生きているみたいだけれど。
こうして返してくれる反応は一般のひとと変わらず、とても落ち着く。
確かにちょっとわかりにくいとは思うけど、よく知り合えば優しさが強く印象に残る。
イリカさんやメイサさん、キルアくんたちもそれがわかるから彼が大好きなんだと思う。
「本当に、危ないことは避けて下さいね」
「…俺もそうしたいと常々思ってるんだけど」
さんが切なげにどこか遠くを見つめる。望んでも、無理なことを願うように。
いつも危険と隣り合わせの世界で生きている、と感じているから。私はすごく不安で。
ある日突然、さんとは会えなくなってしまうんじゃないか。そんな風に考えることもある。
そんなときは決まって、連絡もなしに彼本人が病院を訪れる。
まるで私の不安なんて見透かしてるように。いつも通りの物静かな空気で安心させてくれる。
私を助けて、新しい生きる場所をくれたひと。
そしていまもひとのために、こうして傷ついても危険に飛び込んでしまうひと。
彼がそういうひとだから、何かできることはないか、返せることはないかと探す。
私にできることなんて大してないけれど、さんは嬉しそうにしてくれるから。
もうそれだけで十分、と思う。シャンキー先生にはそのことでよくからかわれるけど。
「着替えとタオルは脱衣所に置いておきますね」
「ありがとう」
ベッドから抜け出す動作は身軽で、確かに傷はもうほとんど痛まないみたい。
浴場へと向かったさんがお風呂に入ったであろうタイミングで、着替え類を脱衣所へ。
あとは彼が自分で自分の面倒を見てしまうだろう。もっと甘えてくれていいのに。
基本的に自分のことは自分で全部片付けてしまうから、私たち周りはすることがあまりない。
とりあえず病室にあった空いた皿とティーカップを洗い場に持っていくと。
イリカさんが残っていた食器を洗ってくれてて、慌ててしまった。
「イリカさん、私がやりますから休んで下さい」
「あ、勝手にすみません」
「いえ、すごく嬉しいです。でもお客様にこれ以上手伝わせるのは」
「私もすごくお世話になりましたから。こんなことしかできないんですけど」
私が思っていることと似たような言葉に、目を瞬いてしまう。
それからなんだかおかしくなって顔が綻ぶのが自分でもわかった。
「ふふ、イリカさんも私と同じこと考えてる」
「え?」
「本当に、自分にできることって少なくて、もどかしいですよね」
「…アンさんもそう考えたりするんですね。でも、病院でこうして働いててすごいです」
「イリカさんだって、ケーキ屋さんなんて素敵なところで働いてるじゃないですか」
「私はすごくないですよ。すごいのは店長です」
「イリカさんが淹れてくれる紅茶、おいしくて好きですよ」
「あ、ありがとうございます」
今回こうして同性の友人が増えたことはすごく喜ばしいことで。
もう仕事に出てしまった、もうひとりの友人も思い出す。
イリカさんも同じひとが脳裏に浮かんだのか、どこか羨望を声に滲ませた。
「メイサさん、呪術師ってすごいですよね」
「実際に色々なお役に立てそうですもんね」
さんにかけられた呪詛を解いたのだって、メイサさん。
色々な依頼を請け負っているらしいメイサさんは、さんがいる世界に近い場所にいる。
私やイリカさんがそちら側に踏み込むことを望むひとなんていないだろうけど。
でもやっぱり、ちょっぴり羨ましいと思ってしまう。
きっと同じ世界を感じているひとにしか、共有できない感覚ってあると思うから。
「今度、三人で女子会とか開きませんか?」
「じょ、女子会ですか?」
「イリカさんはお店空けられないでしょうから、私とメイサさんがお邪魔する形で」
「私でよかったら。でもアンさんもお忙しいんじゃ」
「本来はシャンキー先生ひとりで回るんですよ。好意で置いてもらってるんです」
いやいや全然役に立ってるどころか感謝しまくってるよ、と先生は言ってくれるけど。
私がお世話になる前はひとりで全部こなしてたらしいから、本当に好意からのもの。
もちろん、ただお世話になるばっかりじゃなく、自分で頑張ろうと努力もしてる。
とはいっても、基本的にここの病院は静かで。
町の人々の憩いの場所、という意味合いの方が強い。
だから私が出かけたいときには先生はいってらっさいと送り出してくれるのだ。
「楽しみです」
「メイサさんにも連絡してみないとですね」
さんを通してできた友人。
まだまだお互いに知らないことだらけだけれど。
すごく、楽しい予感がしていた。
翌朝、イリカさんとラフィー店長も帰っていって。
それと入れ替わるようにして、キルアくんとゴンくんが戻ってきた。
帰ってくるなりキルアくんはさんの病室に直行。それをゴンくんが追いかける。
二人に飲み物を用意して病室に入ると、キルアくんはベッドでごろごろ。
さんもそれを穏やかな表情で許して、ときどきキルアくんの頭を撫でたりしてる。
私に気づいたゴンくんがコップを受け取ってくれた。
「とキルアって、本当に兄弟みたいだよね」
「ふふ、確かに。すごく仲の良い兄弟」
「俺、兄弟いないから羨ましいなぁ」
「ゴンくんも、さんにとっては弟みたいなものかもしれないですよ」
「そうかな、そうだといいな。……うん、そうかも」
嬉しそうに頷いて、ゴンくんはジュースだよ!とキルアくんの傍へ。
顔を上げたさんがありがとうと微笑んでくれる。
怖いひとに見えて、実はとてもとても温かいひと。
そんな彼が大好きで、私と同じようにさんを好きなひとが沢山いて。
知り合うひとたちもすごく優しい。
きっと皆が集まれば、突然いなくなってしまいそうなさんを留められるような気がして。
でも、そんなことを考えているのは。私だけの秘密。
初めてアンを書いたときは、レギュラーメンバーになるとは予想していませんでした。
[2012年 5月 14日]