アン嬢にはいつも心配をかけまくりで申し訳ない。
[2012年 4月 10日]
いつも通りの穏やかな日常。
午前中の診察を終えて、昼食をシャンキー先生ととっていたとき。
先生のプライベート用の携帯が着信を告げた。
「お、珍しい」と発信者を確認して先生が携帯を耳に押し当てる。
と同時に、とても大きな声がしたのかすぐさま耳から携帯を離した。
「そんな大声出さなくても聞こえてるって。えーと、色男と一緒にいたちびっ子だよな」
色男、と先生が呼ぶのはさんのことで。
思わずフォークを動かす手を止めて顔を上げると、先生は背中を向けたまま電話を続けている。
…でもなんだか空気がどんどん変わっていって、いつもの飄々とした口調も消えていった。
最終的には真剣な声でやり取りをしていて、何かあったのだろうとわかる。
「状態は。……あぁ、あの医者卵が処置したなら大丈夫だろ。できるだけ衝撃を与えないように運んでこい。あと患部は心臓より高い位置で保つ」
まさか、怪我をしたのか。
しかもかなり酷い状態なのではないか、と振り返ったシャンキーの表情から感じられた。
いつもにやにやと笑っている医者だがいまは笑みなど微塵も残っていない。
携帯を肩で挟んで、椅子にかけたままだった白衣を手にとった。
ついてくるように手招かれ、私も慌てて腰を上げる。
先生はその間もキルアくん(だと思う多分)と電話を続けてた。
すぐにここへたどり着けるよう、最短ルートを指示してるみたいだった。
そうして先生が向かったのは手術室。
個人経営の病院にしては立派すぎる機器の整った場所だ。
先生が目で指示したものを手早く取り出し必要物を揃えていく。
実際に診てみないことにはわからないため、念のためガーゼや布も大量に用意。
その間に先生は携帯をインカム式のものに切り替えた。
「そう、そのまま真っ直ぐ。ついたら廊下突っ切って一番奥においで、手術の用意してるから」
いつもは適当に括っているだけの赤い髪を高い位置で縛り上げる。
全身を殺菌消毒して、特に両手は念入りに。
先生は手術中、手袋を嵌めることはない。特殊なやり方で手術するから。
「おっさん!!」
「開口一番それとはいい度胸だマセガキめ」
ばん、と勢いよく扉が開いて現れたのはやっぱりキルアくん。
そして彼が抱えていたのはさんで、顔が土気色。
思わず息を呑んでしまうと、先生が落ち着いた声で手術台に乗せるように指示した。
キルアくんも血がだいぶついてるけど、それを気にしてる余裕はなくて。
布で包まれたさんを台の上に横たえて、患部を指し示す。
「………っ…!!」
「こりゃまた。……奇妙なことになってるでないの」
「おかしいよな、やっぱり。これぐらいの傷、本当なら大したことないはずなのに」
「確かに、色男のレベルになるとこれぐらいの傷、命にかかわるもんじゃないけど」
そう言いながら先生は腹部に刺さったままのナイフに触れた。
さんはすっかり意識を失ってるみたいで、痛みに呻くこともない。
前髪が汗で額に貼りついて、眉がわずかに寄せられているだけ。
「………どう見ても瀕死だねぇ」
「せ、先生!」
「こりゃちょっと中見てみないと。アン嬢、ちびっ子連れて外出てて」
「え」
「なんだよ蚊帳の外かよ!」
「手術室は俺の城。集中力乱して色男が死んだらどうすんの」
そう言われてしまえば、私たちには何もできない。
実際先生は準備は私に手伝わせてくれるけど、手術自体はいつもひとりで行う。
あれだけの器具や機器をひとりで使いこなせるなんて、人間業ではない。
それでも先生はいつもそうやって、難しい手術も成功させてきた。
悔しそうなキルアくんの肩に手を置いて、一緒に手術室を出る。
どうか、どうかさんが無事に助かりますように。
そう祈ることしか、できなかった。
アン嬢にはいつも心配をかけまくりで申し訳ない。
[2012年 4月 10日]