ラフィーの店に顔を出すのは、いつも閉店間際だ。
客も少なく、騒がしいのが少し苦手な俺としては最適な時間帯といえる。
バレンタインだからまだ人は残っているだろうかと足を向けてみたけれど、予想に反していつも通りの閉店前の店だった。客らしき影は見えない。

静かなのはいいことだ、と思いながら扉を開くと、開閉ベルの音にラフィーとイリカが揃って顔を出してくる。

「あー、ユっちゃんだ」
「…とりあえずお前は寝ろ、ラフィー」
「別に眠くないよ?」
「顔色が悪ぃっつってんだ」
「照明変えたからそう見えるのかな」
「そうじゃねえだろ」
「大丈夫だよ、全然元気だから」

…こいつ当分休む気ねえな。
疲労もピークだろうに、よく笑えてるもんだ。

「いらっしゃいませ、ユリエフさん。こちらへどうぞ」
「んー」

スッと奥に引っ込んだラフィーと、素早くこちらに寄ってくるイリカ。
案内された席につけば、テキパキと慣れた様子でテーブルセットされていく。
それが終わった頃に、ラフィーがケーキなど乗せたトレイを片手に厨房から出てきた。

「お待たせ」
「…目が痛え。これお前の趣味か」

いつも通りのモカのケーキセットのはずなのに、そこかしこにピンクのハートとかがあしらわれている。
いかにもバレンタインだな。
そう思いながらケーキを口に運べば、味が記憶の中のものよりも少し甘い気がした。

「可愛いでしょ。バレンタイン仕様のデコレーション」
「ご苦労なこった。……つうか、やけに機嫌いいな」
「んー、くんのおかげかな」
「兄ちゃん?」
「昨日と今日、ここの手伝いをしてくれたんだ」
「はあ?」

思わずラフィーを見れば、苦笑気味に向かいの席に腰掛ける。

「お礼がしたい、って。好意を無下にしたくなかったから、甘えちゃった」
「…なんつーか…まあ、兄ちゃんらしいな」
「そうだね。すごく助かったよ」

ふふっ、と笑うラフィーは本当に嬉しそうにしていた。
チラッと閉店作業をしているイリカを見れば、いつもより動きが機敏だ。
イベント事を乗り越えた奴らとは思えない。

「…でも、帰る頃にはかなり疲れた顔になってたんだよね」
「兄ちゃんからしたら本望だろ。気になるなら、甘いもんでも与えてやれ」
「うん、そのつもり」

口直しにコーヒーを飲んだら、やっぱり少し甘い。

「……豆、変えたのか」
「さすがユっちゃん。新しい豆の栽培始めたから、試しに使ってみたんだ。どう?」
「まずくはねえ」
「うーん、じゃあまだ量産には早いか…。ありがとうユっちゃん」

まずくはない。でもいつもの味じゃない。
ラフィーもわかっているのか、僅かに難しそうな顔をしている。
こいつが選んだのならば、良い材料なのだろう。
しかし元の味で慣れてしまったら、他のもので作られてしまうと違和感が出てしまう。

ムースを一口含めば、やはりほんの少し甘味が強い。
それでも味はよそのケーキ屋と比べるべくもなく。

「俺のは砂糖減らせ」
「ユっちゃんのには限りなく入ってないんだけど」
「じゃあ甘いのは入れるな。この黒いの」
「それブラックチョコ。入れない方がよかった?」
「少なくとも、俺はいらねえ」
「わかった」

頷いてから席を立ち、そのままラフィーは厨房の方へと歩いていった。

目線がやや上なことから、何か新しいレシピでも考えているんだろう。
料理バカだな、と少し笑って、残ったケーキを食べきった。ムースはとっくに空だ。
まだ温かいコーヒーを少しずつ飲みつつ、背もたれに体重を預ける。
店内では緩やかな曲が流れ続けていて、睡眠誘導剤の効果を充分発揮してくれている。

眠い。ああ、そういや昨日ほとんど寝てないんだったか。

睡魔に逆らうことなく目を閉じた瞬間、店の扉が開く音が響いた。
もう閉店だというのに来客か、と片目だけを開いてみる。

「お、ユリエフくんはっけーん」
「…お前か。何だ」
「運び屋シャンキーがあなたに愛を届けに参りました」
「……………」
「や、真顔で引かないでくれ。傷つくから、地味にグサッとくるから」

出会い頭の発言行動がアホ過ぎる。反応に困るから、ふつうに挨拶してほしいものだ。
それともツッコミ待ちってやつか?だとしたらくだらねー。

「ラフィーくんは奥?」
「ああ。なんかひらめいたらしい」
「ふーん。チョコどうすっかねー」
「チョコ?」
「去年、ユリエフくんにもやっただろ?アン嬢の作ったチョコ」
「…ああ、あれか」
「今年もあるよーん。ほい」
「……会ったこともねえ奴によく作れるな」

シャンキーのところで働いているらしいアンという女。
よくこいつがアン嬢がアン嬢が、と話すからおおよそのことは知っている。
兄ちゃんとジンがクート盗賊団を潰した時に、人質となっていた彼女を助けたのだと。

話には聞いていても、未だに会ったことのない人物だ。
だというのに、チョコを作って寄越すとは。
シャンキーの近くにいるだけあるってことか?

「ははっ。ただの気持ちなんだし、細かいことは気にしなくていいっしょ」
「…ま、なんでもいいけどな」
「気になるならいつでも〜…って、そうそう。ユリエフくん、定期健診行った?」
「あー…そのうち行く」
「行くなら俺んとこカモン!むしろ今日おいで?」
「診察時間終わってんだろ」
「友人のためなら喜んで開けるって。うん、俺って優しい」

自分で言うな。

にしても、定期健診か…。すっかり忘れてた。
シャンキーの病院であるならそう嫌な気分じゃないが、消毒液の臭いがな…。
考えてたら嫌になってきた。面倒くせえ。

「……あれ、シャンキーの幻がいる」

静かな呟きに揃って声の方向を見ると、ラフィーがふらふらと近寄ってくる。
今にも倒れそうじゃねえか、とシャンキーをちらりと見やる。こっちは今にも叫びそうだった。

「ラフィーくん、ちゃんと休んだ?」
「んー…ほどほどに」
「…休んでないのね。てか、さっきは突っ込まなかったけど俺の幻がいるって言葉おかしいから」
「そうかなぁ」
「正しくは"幻が見える"か"シャンキーがいる"…聞こえてる?」
「うん。ちゃんとシャンキーの幻が見える」
「いやいや!言葉の使い方は正しいけど俺ここにいるし!」

いよいよ疲労が体に来たのか、会話がずれているラフィー。
今みたいにシャンキーがわりと必死に話しかけてラフィーの意識を保たせなければ、今頃ぶっ倒れているはずだ。

少し騒がしくなったのが気になったのか、それとも片付けが終わったのか。
イリカが駆けてきた。

「シャンキー先生。こんばんは」
「お、こんばんはイリカ嬢。バレンタインお疲れさーん」
「ありがとうございます。…あの、店長大丈夫ですか…?」
「大丈夫だよ。お疲れ様イリカ」
「はい、お疲れ様です」

大丈夫であるはずがない。でもそれを、イリカがいるこの場で言うわけにはいかない。
彼女も気づいてはいるだろうけど、ラフィー本人が大丈夫だと言っているのだから、それを信じている。
そうしてくれているのだから、わざわざ心配させる要素を口に出す必要はない。

まあ、俺は元々あまり口を出さねえが。
でもシャンキーがなー…。こいつは医者であり、友人だからと口も出すし心配もする。
今は口を噤んでいるが、イリカが帰った途端騒ぎそうだ。

「じゃあ、明日は少し遅めに開けるから、よろしく」
「わかりました。では、また明日」
「うん、おやすみ」
「おやすみなさい」

軽快な足音を立てて、イリカが帰っていった。もとい、奥の部屋に着替えにいった。
今回は俺たちがいるから、表ではなく裏から帰っていくらしい。

店内のBGMが少し懐かしい曲に変わった瞬間、シャンキーが腰をあげた。

「ほらラフィーくん休む休む!」
「ううん。まだ明日の準備があるから」
「だめだって。せめて2時間くらい寝てからにしなさい。ドクターストップ!」
「…………」
「そんな顔してもダメだからな?」
「……ユっちゃん」

俺に助け舟を出してほしいのか、縋るような目で見てくる男。勘弁してほしい。
シャンキーがストップをかけるくらいだから、ラフィーは今いっぱいいっぱいなんだろう。
きちんと仕事を終えてから休みたい気持ちはわかる。が、今の状態で仕事がこなせるとは思えない。

……でもなぁ、こいつ頑固だし。シャンキーはシャンキーで譲りそうにねえし。

「…ラフィー、休んどけ」
「ユっちゃんまでそう言うんだ」
「心配だから言ってんだよ。聞け」
「………わかった。じゃあ、2時間だけ寝てくるよ」
「そうしなさい」

うんうん、と満足そうに頷くシャンキーにラフィーが苦笑を見せた。

「あ、そうそうラフィーくん。アン嬢からのチョコあるぞ」
「嬉しいな。起きたら食べるから、冷蔵庫にお願い。あと、ありがとうって伝えといて」
「ん、了解。上の段に入れとくからな」
「わかった。じゃあ二人ともおやすみ」

2時間後に起こしに来てね、と目覚まし役を言いつけるのを忘れない男。自分で起きろ、とは言えない。
疲れ切ってるだろうから、自分じゃあ起きれねえんだよな。

呆れたようにため息をつくと、シャンキーが厨房から戻ってきた。
ああ、チョコを冷蔵庫に入れにいってたのか。素早い。

「ラフィーくん、なんか幸せいっぱいって感じだな」
「兄ちゃんが来たからだろ」
「へ?」
「昨日と今日、手伝いに来てたらしい」
「へええ〜。色男も律儀っていうか…」
「お人よしだな」
「ははっ、バッサリ言うねー」

裏の世界に浸かりまくってるであろう男が、ケーキ屋の手伝い。
そんな、類を見ない奴だから魅かれるんだろうな。
という一人の人間がそこにいるだけで、笑顔でいられる。

どう見ても一般人とはかけ離れているのに、あいつは確かに他人に安らぎと温かさを与えてるんだ。
優しさ、というのだろうか。

「…ごく自然に人を喜ばせられる。つくづく、不思議だよな」
「………」
「ラフィーくんのケーキっぽい」
「…一部にしか当て嵌まんねえだろ」
「そういうもんっしょ。優しさも、さ。色男だって、誰も彼もに優しくできないだろうし」

それはそうだ。博愛主義者だったらわからないけれど、そうは見えない。
自分にとって危険であるなら、は容赦ないと思う。
ラフィーにしたって、自分自身や自分が大切に想うもの、食べ物などに危害を加えようとするなら、それはもう恐ろしいことになる。
自分が作ったケーキを美味しいと思って食べにきてくれる奴にはたいてい優しいし、あいつ。

例外はあるけれど、つまり全てはそれぞれの好意の示し方というわけで。
嫌いな奴に優しくする奴はいないだろ。
はきっと、この場所が好きなんだろうな。そして、ラフィーとイリカのことも。もちろんスイーツも。

「ときにユリエフくん」
「何だ」
「定期健診くるよな?」
「……どうしてもか」
「どうしても。ただでさえ不摂生な生活送ってんだから、その辺ちゃんとしとかないと」
「いたって健康だが?」
「その油断がいけないんでーす。はい、強制連行ね。心配して言ってんだからな?」
「…………ちっ」

まあ、シャンキーの病院ならいいか。
消毒液の臭いがしなければ、居心地はいい方なのだから。





店長視点までも書いてくださいましたぞ…!
古馴染みメンバーの話はなぜか読んでてにやにやしてしまいます。
おかしいですね、原作キャラではないというのになんでこんなに楽しいんだろう…私得!(笑

それにしても、いつまでも闇の住人扱いな主人公が歪みないですね。
確かに嫌なものは切り捨てるよ!逃げるという意味で!(情けない

さらにおまけまで書いてくださいましたー!こちらでっす。

[2013年 3月 7日]