第1話

そろそろ家も見えてくるぞ、という頃になって。
鞄に入れっぱなしにしていた携帯が震えていることに気づいた。
あれ、着信があることなんて滅多にない俺の携帯が鳴るなんてどういうことだ。

「もしもー…」
『今まで何をしておったばかもん!』
「………じーちゃん」
『まったく、いったい何度メールを送ったと思っておる。その携帯放置癖をなんとかせい!』
「…返す言葉もございません」

だってろくに携帯かかってこないからさ、見る癖なんてついてないんだよ。
何度もメールをしたということは、急ぎの用事でもあったのだろうか。

「で?」
『おおそうだった。わしの机に置いてあるファイルを研究室まで届けに来てほしいんじゃが』
「………また忘れ物か」
『いやいや、これから通うことになる学部をお前に見せてやろうと思ってな』

もう何度も見学に足を運んでるわ!
と言いたい気持ちを必死に抑えて、わかったと返事をする。
十分以内によろしくのー、と呑気な声を最後に通話が切れたではないか。

…おいおい十分って。自転車で飛ばしても間に合うかどうかじゃねえか。
っていうかまだ家にすら着いてないんですけどおぉぉ!?

ダッシュで家へと帰り、靴を脱ぐのももどかしく、卒業証書をそこらに投げ捨てる。
二階にあるじーちゃんの部屋に入り、山積みになっている資料を崩さないよう机に向かった。
そして丁寧に閉じて置かれているファイルをとり、一目散に玄関へ。
くっそう、制服着替えたいけどそんな暇ないじゃんか!

ファイルと携帯だけを持って、そのまま家を飛び出し鍵をしめる。
愛用の自転車にまたがり、そのまま一気にペダルをこいだ。

そこまで必死になることないだろうって?そんな恐ろしいこといわないでくれ。
じーちゃんは考古学の有名な教授であり、数々の遺跡や遺物を発見しているひとだ。
その点はとても尊敬しているのだが、学者にありがちの奇天烈な性格の持ち主でもあって。
いったい何度、呪いの品を渡されたかわからない。
実際に効果があるのかはわからんが、ものすごく薄気味悪い。即返品させていただいた。
容赦ない制裁を受けた記憶がまざまざとよみがえり、スピードをぐんと上げる。

「くっそ、あと三分!」

カップラーメンができあがるまでに研究室に辿り着かなければ!
駐輪場に自転車を乗り捨て、そのまま息つく暇もなく大学内を進んでいく。
大学生たちの視線が痛いこと痛いこと。すみません、高校生の制服で走ってすみません。
ああもう、せめて着替える時間ぐらいくれよな、めちゃくちゃ目立ってんじゃんか!

「じーちゃん!!」
「ちょうどいまカップ麺ができたとこじゃ、食うか?」
「………勘弁してくれ」

マジでカップラーメン作ってるよこのひとおぉ!?
必死に走ってきたこっちの身にもなれってんだこん畜生!

なんとか言われたファイルを渡すものの、じーちゃんはそれをデスクにぽいっと放る。
そしていそいそと割り箸を手にカップ麺のふたをぺりぺりと剥がし始めた。
…おい、その不毛の大地に残った最後の一本引き抜くぞじじい。

「ほれ、食え」
「………わかったよ」

渋々腰を下ろし、もう一個用意されていたカップ麺に手を伸ばす。

小さい頃に両親は他界していて、たったひとりで俺を育ててくれたじーちゃん。
小学校くらいまではばーちゃんもいたのだが、病死してしまった。
それでも俺を放り出さず、ずっと面倒見てくれていたことには感謝している。
真剣に歴史の跡と向き合う姿も、尊敬している。だから俺は考古学に興味を持ったんだ。

ほんの少しでも恩返しができたら。そんな気持ちもあるけれど。
歴史のロマンを教えてくれたじーちゃんと共に、それを見ていきたいと思った。

「そうじゃ、エジプトの土産をやろう」
「…家で渡してくれりゃいいのに」
「今日、持って帰る許可が出たんじゃ。ほれ」
「…?何これ…石版みたいだけど」
「呪いの石版じゃ」
「何してくれてんだ?」

また呪いグッズかよ!ほんと飽きねえなじーちゃん!
慌てて机に戻すと、なんじゃ物欲に乏しいのう…とそれを手袋でしまう祖父。
…おい、俺いま素手で触っちゃったんですけど。大丈夫?ねえ大丈夫なのそれ?

もう泣きたい気分になりながら、カップ麺を無事完食。

「んじゃ、俺帰るから」
「今晩は学会で帰れん。戸締り、火の元には気をつけるように」
「ん」

忙しいじーちゃんに手を振って、研究室を後にする。
ここに来月から通うことになるのだ、いまからドキドキする。
いったいどんなロマンが俺を待っているのだろうか。そうだ入学案内をもう一度読み直そう。
春休み中に片づけておかないといけない課題も山盛りだし、忙しくなりそうだ。

夕飯の買い物もしないとな、と駐輪場へと向かう途中。
ぐらりと眩暈がした。

「え?」

そして今度は景色がぐにゃりと歪む。
あれ、え、身体が動かない…っていうか地面にどんどん顔が接近してるんですけど!!?




まさか、本物の呪いグッズだったのだろうか、あれ。

ようやく出発です。

[2011年 4月 1日]