第55話−アン視点

誰もが恐れるクート盗賊団。
村を焼かれ、家族や知り合い皆が惨い殺され方をした。
子供は売られ、私と同じぐらいの女たちはこのアジトに連れられてきて。
…口にしたくもないような目に遭い、日に日に殺されていく。
私の村から攫われてきた子たちはもう皆殺されて、私も今日死ぬんだと思った。

この地獄のような日々が終わるのなら、それもいいかと思っていたのに。
突然現れた青年二人は、堂々とクート盗賊団の首領であるルッタに挑んでいる。
只者ではないのだろう、ルッタが私を人質に笑った。

あれほど生きることを諦めていたのに、咄嗟に口をついて出たのは助けてという言葉。
死にたくない、まだ生きていたい。
ルッタの大きな手に頭をつかまれ、足が床から浮く。
全体重が頭にかかり息がつまる。ルッタの握力で、頭蓋がみしみしと軋む。
いや、いやだ、まだ死にたくない。死にたくない!

ろくに力も入らない手足を無駄と知りながらばたつかせる。
と、不意に強引な腕に抱きしめられるのを感じた。
急に酸素が肺に流れ込み苦しい。なんとか息をしようとする私の背を、撫でる手がある。
けれどそのときの私には恐怖でしかなくて、がむしゃらに暴れた。

「…や…っ!!た、たすけてぇ!!殺さないで!!」
「落ち着け」
「ひいいぃ!!!」
「大丈夫だから」
「いやああ、命は、命だけは…んぅ!?」

擦り切れた爪を必死に立てるけれど、両手をつかまれてしまう。
無力な自分では抗うこともできないのかと絶望に落ちる顔を、そっと引き上げる手。

そして次に感じたのは、唇に重なる温もりで。

最初は何が起きているのかわからなかった。
けど、決して乱暴ではない口づけは、深い意味を伴うものではなくて。
ただこちらを安心させようとする何かを感じた。

驚きに言葉を失う私が見たのは、焦げ茶色の澄んだ瞳。
黒い髪を揺らした彼は、おとなしくなった私を見てぽんと頭を撫でてくれた。
そしてそっと身体を離して、いつの間にか壁に吹き飛んでいたルッタたちを睨む。
無造作にコートを脱いだ彼は、それを私に預けてきた。
戸惑っているとこちらの肩をそっと押して、離れているようにと合図をくれる。

助けようとしてくれてるのだ。
それを直感で理解して、私は動かない足を叱咤して壁際に向かう。

恐怖は嘘のようにしぼんでいて。
ただ彼が無事に生き残ってくれますようにと。
彼の上着をぎゅっと抱いて祈った。





二対一をものともせず、彼は淡々とした表情で戦い続けて。
見ていて突然テーブルや壁が溶けていく様子に、何が起こっているのかと慄く。
しかも青年は毒を仕込まれてしまったらしく、五分もすれば命を落とすという。
だというのに彼は怯える様子もなく戦い続けて。

また、私を庇ってくれた。
ただの足手まといでしかない自分が悔しくて、腹立たしくて。
何度目かわからないその温もりに包まれ、唇を噛む。

自分の命を危険にさらしてまで、どうして守ってくれるのだろう。
ルッタのように、他人を犠牲にして生き延びようとするのが普通ではないのだろか。

とても冷たい横顔をしている彼は。

とても、とても優しいひとなのかもしれなかった。







安心させようと撫でてくれる手。

不器用なその手が、彼の心を表しているようで。


きっと色々なことを経験してきているのだろう。あれだけ強いんだもの。
それでもこの手は怖くない、と思えた。


だってほら、見下ろす焦げ茶色の瞳には優しさが灯っている。





ある意味で王子様ですよね。

[2011年 7月 4日]