第70話

案内されたのは豪勢な部屋で。う、わー…個室なのになんだあのシャンデリア。
絨毯なんてふかふかすぎてヒールが埋もれそうなんだけど。

「ああ、呼び立ててしまってすまないね」

この屋敷の主である老紳士がにこにこと笑顔で迎える。
どうぞと促されて俺は椅子のひとつに腰を下ろした。うわ、クッション柔らかい。
下手に座ると沈んで立ち上がれなくなりそうだ、と浅めに腰かけた。

「良い酒があるのですよ。一杯いかがですかな」
「あ、いえ…」

俺、酒止められてんですけど…!!

しかし老紳士は意外と身軽な動きで立ち上がり、置かれていた酒を取り出す。
グラスふたつに酒を注ぐと、それを手に戻ってきた。
どうぞと手渡されるけど、受け取っても口をつけられない。酔う、確実に酔うぞ俺。
酔っぱらった後どうなるのかいまいちわからないけど、人様に迷惑をかけるのは確実。

どうしたらいいんだ、とだらだら汗をかく俺の肩にそっと手が添えられた。
ん!?と顔を上げれば、驚くほど至近距離にある老紳士の顔。
ちょ、えええ!?何してんのこのじーさん!!いつの間にか俺の隣に座ってますけど!

「ああ、やはり美しい」
「え…」
「その黒曜石のような瞳。…おや、光の加減で色がまた違ってくる」
「あの」
「お連れの男性は恋人ですかな?それともご主人?」

ある意味で主人みたいなもんだけど、恋人ではないぞ断じて。
つか俺もイルミも男だ。こんななりしてるけど、俺・は・男・で・す!!

「マダム。せめて今宵一夜、あなたの甘い夢を見させてはいただけませんか」
「………」

………………何言ってんのこのひと?

「その瞳が私を映す。ああ、なんという甘美な」
「………………あの」
「あなたさえよければ、あの男ではなく私と共に過ごしてみませんか」
「………」
「誰よりも贅沢をさせられる。欲しいものはどんなものでも揃えましょう」

ならくれ、平穏を。

いや、つーかさ。仮に俺がイルミの恋人とか奥さんだったとして。
もうひとのものになってるのに、こうやって手を出そうとするってどうなの。
優しいおじいちゃん、って見た目でやること傲慢だ。
金持ちって皆こうなのかと偏見持っちゃうぞ。

だからそもそも、俺男だからね。無理だから。
男と男で甘美な夢なんてどう見るんだっつーの。そういうのはヒソカに頼め!

「…お断りすることは」
「ほう?私を拒むとおっしゃいますか」

だって根本的なところで無理だから。
なんで男に迫られてんだよ俺ー、と泣きたい気分になってくる。
情けなくなって顔を伏せると、肩をつかむ手の力が強くなった気がした。つか、痛い。

「…ならば、せめてその瞳だけでもいただきたいものですな」
「………?」
「ああ、ですが一度はあなたの温もりを感じてみたい」
「!!」

声に異様な空気が滲んだかと思うと、いきなり圧し掛かられた。
手元からグラスが滑り落ち、絨毯へと転がり赤い水たまりを作っていく。
背もたれに沈み込む俺の上に覆いかぶさる老人は、すでに紳士の皮を捨てていた。
ぎらつく獣のような瞳は、見覚えがある。真っ当な道を歩いていない者の目。
あーだよなー、暗殺の依頼されるぐらいなんだからまともじゃないってことかー。

………ん?いまこのじーさん、俺の瞳が欲しいとか言って…。

「少々痛い思いをしてもらいますが、なあに。目をくり抜くのは意識のないときにしましょう」
「………………」
「けれど、苦痛に悶える声を聴くのもそれはそれで」

うわあああ、なに言ってんだこのひとおおおぉぉぉ!!!!
あれかっ、ネオンと同じ類で人体収集とかしてんのか!?うわ、こわっ。
つかサドっ気ありすぎじゃね!?生きたまま目くり抜くとか言ってるよこのひと!

って、ぎゃああぁぁぁ、なんか足撫でられてるううぅぅう!!

「いまならまだ、引き返せますぞ。どうです?私の傍にいるつもりは」
「………こんな迫り方、ただの脅迫では」
「私にとっては愛の証です」

歪んでる、歪んでるよこのひと…!うわ、つか酒臭い!頭くらっとする。
このままだと俺もう酔う。キルアに怒られるー!口利いてもらえなくなるー!

「…っ……いい加減にしろイルミ!!」

お前の標的だろうがー!どこで油売ってんだか知らないけど、早く来いっ。
ゾルディックの人間は迅速で確実な仕事が信条じゃないのかー!(勝手なイメージ)

さすがに念を使って逃げようかと思う俺の上で、じーさんが動きを止めた。

あれ、え?と戸惑う。
するとゆっくりとじーさんの身体が仰け反り、絨毯の上に崩れ落ちた。

「もう少し見てたかったんだけど」
「………イルミ」

ずっと部屋の隅に控えていた執事の手には、数本の針。
………えーと。顔も身長も全く違うけど。イルミさんなんですかね?

つかお前、ずっと傍にいたのかよ!何傍観してんだよ!!

「終わったし、じゃあ帰ろうか」

がきごきと骨を鳴らして素顔に戻るイルミ。うわ…生で見ると滅茶苦茶ホラーだこれ。
足元に転がるじーさんは見なかった振りで、俺はよろよろと立ち上がる。
ひ、ひどい目に遭った…。男に迫られるわ、目を生きたまま抉られそうになるわ。

「………イルミ」
「何」
「帰ったら、キルアとカルトを独占させてくれ」
「…いいけど。変態みたいな台詞だよ」
「うるさい」

俺はちびっ子で癒されたいのー!!

いまにも泣きそうになりながら、俺ははたと気づいたことがあった。
あれ、ちょっと待てよ。

「イルミ」
「今度は何」
「………顔も体型も変えられるなら、お前が女になればよかったんじゃないか?」
「………………」
「……………」
「………あ」

あ、じゃねえよ!!俺のこの無駄な努力どうしてくれんだよ!!
うわ、ありえねえ。こいつ素で気づかなかったのと、わざと何も言わなかったのどっちだ。
どっちもありえそうで頭痛い。くそう、俺ただの恥かき損じゃん…っ…。

ぽん、と手を叩いて何度も頷いてるイルミを。

俺は心底殴りたかった。




主人公にとっては黒歴史。

[2011年 8月 27日]