第93話―アン視点

「久しぶり、アン」

懐かしい静かな声が空気を伝って響く。
深い焦げ茶色の瞳は記憶にあるものと変わらず、そのままの姿で彼は立っていた。

最初に感じたのは、驚き。そして次に、喜び。
彼の顔を見られただけでこんなに心が躍るなんて、不思議。
掃き掃除をしていた手を止めて、私の顔は自然とほころんでしまう。

「お久しぶりです、怪我はされてませんか?」
「平気。ちょっとシャンキーに用があって」

淡々と答えてくれる彼は確かに元気そう。
運び屋という仕事をしているそうだけれど、危険なこともあるみたいで。
怪我をしていないならよかった、と肩の力を抜く。
どうしても視線は自然と彼の手の甲へと向いてしまった。

さんと出会った、クート盗賊団のアジト。
そこでの戦いの中、彼は手に毒を受けてしまって。一時は命の危機だった。
いまは元気だけれど、手袋の下に隠された甲には傷が残ったままなのを知っている。
でも私が気にしていると、彼は困ったようにわずかに眉を下げるから。
笑顔でどうぞと院内に案内する。

こうしていま笑っていられるのは、全部彼のおかげ。
だからこそ、心配をかけたくない。

「先生、さんがいらっしゃいました」
「んー?おやおやぁ?色男じゃないの、ひっさしぶりー」

今日は患者さんもいなくて暇なシャンキー先生は、仮眠をとっていた。
夜中に飛び込みで患者さんが来ることもあるため、寝られるときには眠るそうで。
さんの来訪にそれほど驚いた様子もなく、いつもの表情でひらひら手を振ってる。

「どしたの、このイケメンに会いたくなって来ちゃった?」
「…そういうセリフは無精髭を剃ってからにしてくれ」
「うわー傷ついたー」
「ちょっと聞きたいことがあって」
「俺に?なになに、アン嬢のスリーサイズならいくら聞かれてもシークレットよ」
「せ、先生!」
「………そういうことを他人に聞くわけないだろう」

不機嫌そうにさんがちょっと眉を寄せる。
私は恥ずかしくて顔を上げることができなかった。
先生はこういうことで私やさんをからかうのが好きみたいで、ちょっと困る。
でもさんは動揺することもない。

男女の関係に関しては淡泊なのかな?と思う。
前に私がパニックを起こしたとき、落ち着かせるためにキスをしてきたぐらいだから。

でもすごく優しいひとで、こちらを気遣ってくれる。
そのことがわかるから、怖くはなくて。
無表情の下に穏やかな心があることを、感じている。

「色男のご所望の情報は何かな?俺に答えられること?」
「…あまり期待はしてない。一応、確認だけ」
「がーん、期待されてないってショック…」
「ジンの居場所だ。いまどこにいるか、知ってたりしないか」
「ジン?」

ジンというのは先生の古くからのお友達。
クート盗賊団のアジトにさんと一緒に殴り込みに来た男のひと。
すごく元気で、びっくりするぐらい自由。
ひとを巻き込むのが上手みたいで、先生はそのことをいつもボヤいてる。
だから今回も複雑そうな顔をして髪をかいた。

「あんなのに関わろうと思うなんて、物好きだねぇ」
「………俺もできるなら関わりたくない」
「うんうん、それが普通だって」

さんも先生と同じ認識みたいで、そう言われてしまうジンさんに笑みがこぼれる。
皆に文句を言われても、それでもひとを惹きつける存在。とても不思議なひと。

「けど、仕事の関係で。ジンと話がしたいんだ」
「はーん?ってことだけど、どうするジン」
「俺と話って何だよ。どっか殴り込みか?」

昼寝してくる、とどこかへ行っていたジンさんが顔を出す。
そう、実は昨日からジンさんは先生のもとへ遊びに来ていて。
健康診断という名目ではあるけれど実際はただ気分で立ち寄っただけ、とは先生の談。
でもきちんと高額なお金を払ってくれるんだから、良いひとなんだと思う。

先生にはそんなこと関係ないみたいだけど。

「あ、てめジン。何俺の秘蔵の酒を」
「他にも山のようにあんだから一本ぐらいいいだろ」
「全部銘柄も年代も違うっつーの!返しなさい、むしろ金払え!」
「さっき診察代出してやっただろうが」
「それはそれ、これはこれ。俺の愛しのハニーたちを返せー!」

途端に騒がしくなる先生とジンさんをさんは呆れた目で見てる。
いつも通りの淡々とした声で、いまだに騒いでる二人の会話に割って入った。

「………ジン」
「お?あ、俺に用だったか。何だよ」
「………………グリードアイランド、知ってるよな」
「当たり前だろ」

ぐりーどあいらんど?

「そこのゲームマスターたちから伝言がある」
「え、色男ってばあれプレイしてんの?うっわー、命知らずー」
「危険なものなんですか?」

思わず私が尋ねると「仕事で関わってるだけだから」とさんの幾分か柔らかい声。
危険なことがあればちゃんと逃げるし、と宥めるように続けられる言葉。

…つまり、危険な仕事ということなんだろう。
彼はもともとそういう世界で生きるひと。そのことはわかってたはずなのに。
胸が重たくなるような感覚に言葉をなくしていると、先生が明るい声で肩をすくめた。

「アン嬢、諦めなって。男ってのは危険に飛び込むのが好きな生き物だからさ」
「わくわくするもんが嫌いなヤツはいないだろ」

ジンさんまでそんなことを言うと、さんは黙ってろとばかりにひと睨み。
そのまま話題を変えてしまった。

「で、ゲームマスターたちからの伝言だが」
「とりあえず言ってみろ。聞くだけ聞いてやる」

そこからは仕事の話で。
私には話の半分も理解することはできなかった。
よくわからないけど、ゲームをプレイするひとたちの間で危険なことになっていて。
ゲームを管理するひとたちが、そのまま放置していいのか意見をジンさんに求めたみたい。

「これらを見過ごしていいのか、介入するべきなのか判断を仰ぎたいそうだ」
「どんな形でも攻略はありだ。それがゲームってもんだろ」
「ジンは裏ワザも好きだからねぇ。っていうか俺ルールすぎ」
「どんだけグループ作ろうが、そう簡単にはクリアできないだろうさ。ま、クリアしてくれても俺としては構わないんだがな」
「………じゃあそのまま静観してるように、ってことでいいのか」
「いちいち俺の意見聞く必要はないってこった。いまゲームを管理してんのはあいつらで、俺じゃない。あいつらの方がよっぽど現状に対してのまともな対処法を思いつくだろうし」

不意に真面目な顔をするジンさんは、印象が随分と違う。
先生もさんも驚いた様子がないから、こういう面を知っているんだろう。

「ま、大人数でクリアしようとするなんて面白味のねー連中、とは思うけどな」
「ジンはあのゲームに相当こだわって作ってたからねぇ、鬱陶しかったのなんの」
「うっせー」

また賑やかになる二人に溜め息を吐いて、さんがこっちを向く。
お茶もらってもいいか、と少しだけ疲れたような顔で。

ひとり蚊帳の外だった私に声をかけてくれる優しさ。
それを感じながら、とびっきりのお茶を入れなくてはと笑顔を浮かべる。
私に穏やかな日常を取り戻してくれた彼が。
ほんの少しでも、安らぎを感じてくれればいいなと心をこめて。




穏やかな日常を過ごせているようです。

[2011年 12月 25日]