第104話

さて、傷心の俺がふらふらと歩いて辿り着いたのはラウンジ。
受験生たちのほとんどは疲れきってて、だいたいは眠りに落ちている。
だから逆にこういう場所で休憩してるのは珍しいみたいだ。うん、落ち着く。
ひとが多いとなー、どうしても緊張しちゃってダメなんだよ俺。

紅茶を一杯もらって、俺は持参していたクッキーを取り出す。
ハンター試験は過酷になるだろうから、まともに食事もとれないかもしれない。
そんなときのための糖分補給用に持ってきていたわけで。
………断じて甘いものが好きとかじゃないぞ?いや、好きは好きなんだけど!
試験中にクッキーなんて遊んでるのか、とか怒られるの嫌じゃん。
だから俺はひとりのときを狙ってこのクッキーをいただこうとだな。

「あんた350番ね」
「………?」

俺のことか、と顔を挙げれば腰に手をあてて仁王立ちの美女が。
………あー、美女っていう括りなのかな。可愛い顔立ちでもあるんだけど。

「………メンチ?」
「あーら、先輩になるかもしれないハンター相手に呼び捨て?」
「………」

こ、怖いっ、メンチ怖い!なんでそんな苛々してんの!?
もともと気が長い方ではないだろうけど、それにしたって刺々しい。
あ、もしかしてメンチも疲れてんのかな。そういうときは甘いものがいいんだぞ。
…仕方ない、女の子は甘いもの好きだろうしな。これをお裾分けするか。

「…食べるか?」
「は?いらないわよそんなも……………ちょっと待った」
「?」
「そのクッキー、見せて」
「どうぞ」

袋ごと渡すと、まずはクッキーを色々な角度から睨みつけるメンチ。
あれはまさに獲物を狙う獣の目だ。お、恐ろしい。
そして次は匂いを確認。さらにひと口ぱくり。
……もう口の中なにもないんじゃ?ってぐらい噛んでいる。

手についた粉もぺろりと舐めて、メンチは目の前に腰を下ろした。
そしてずいっと身を乗り出してくる。

「これ、どこで買ったの」
「え………天空闘技場、知って」
「知ってる。もしかして、その近くにあるケーキ屋?」
「………そう」
「やっぱりこれラフィー先輩のクッキーね!」
「ラフィー……?」
「そのケーキ屋の店長よ!あんた先輩の名前も知らないわけ!?」

うわあん、なんかよくわかんないけどごめんなさいー!!
さらに凄まじい形相で顔を近づけ威嚇してくるメンチに俺は逆に姿勢を遠ざける。
………って、あの店長ラフィーっていうんだ。知らなかった。

「………あんたもまさか人の名前覚えられないとか言うんじゃないでしょうね」
「………メンチの名前はちゃんと憶えてるけど」
「そういやそうだったわね」
「先輩ってことは…店長と知り合い?」
「まあね。っていうか今回の試験官をOKしたのだって、先輩に試験官のオファーがいったって聞いたからなのよ。なのにいざ蓋を開けてみればいないとか、どういうこと!?」
「………店を空けられなかった、とか」
「キー!!」

というか、店長が参加した場合はメンチの出番がなくなるんじゃないか?
ケーキ屋の店長なんだから、美食ハンターみたいな括りになるんだろうし。

………………………。

え、あれ?店長、今回のハンター試験の試験官を打診されてたの?
ちょっと待って、え、俺なんか怖いことに気づいた。
………試験官って、現役のハンターがなるものだったよな?つまりそれって。

あの店長、ハンターってことおおおおおぉぉぉぉ!!?

嘘だろ、え、ちょ!!
しかも試験官の話がいくぐらいだから、実力者なんだろう。
……念も習得してるってことだよな?えええええええ。

「っていうかあんた。スシの試験のときに全く作る気なかったわよね」
「………俺レベルの人間じゃ作れないと思ったから」
「つまりはスシを知ってたわけ。そういえばお握りも作ってたっけ。ジャポン出身?」
「近いけど…違う」
「あ、そ」
「俺はメンチのスシが食べてみたかった」
「は?」
「スシじゃなくてもいいけど…一ツ星ハンターになるぐらいの料理人なんて、すごい。相当おいしいんだろうなと思ったから」

あのクモワシもうまかったしなー。
きっと世界中のおいしい食材や料理を知り尽くしているんだろう。
それでも満足せず探求し続けるんだから、本当に尊敬しちゃうよ。

「高いわよ」
「……やっぱり」

一流の料理人ならそうだよな。でもいまの俺なら払えるかも?
残高を確認してないけど、元の世界じゃお目にかかれなかったような金額を稼いでいる。
………命の危険と引き換えの報酬だから、あんまり嬉しくないんだけど。
俺は慎ましい生活でいいよ。ただ平穏であってくれれば。

「あんた、ラフィー先輩のとこにはよく行くの」
「……常連、ではあると思う」
「あーうらやましい。久しぶりに顔出してみようかしら」

世界中を飛び回っているせいで、なかなかあの店に足を運べないのだとか。
そう唇を尖らせるメンチに、残りのクッキーも全部あげることにした。
…まあ俺も食べたかったんだけど。でも、俺はあの店には割と顔出せるし。
店長の作るケーキやお菓子は本当においしい。魔法みたいだ、って思うぐらい。
うん、試験終わったらまた顔を出してみよう。

とりあえず俺は席を立とうかと思っていたんだけど。
待ちなさい、とメンチに呼び止められてしまった。

「…このクッキー、ただでもらうわけにはいかないわ」
「……え、でも俺は」
「それだけの価値があるものなのよ!」
「は、はあ」
「というわけで、一品作ってあげるから待ってなさい」

え、まさかメンチの料理が食べられんの?マジで!?
クッキーはしっかりと受け取ったメンチは、そのまま厨房へと入っていく。
うわー、うわー、すっごい嬉しい。店長ありがとう!

やはり手際が良いのか、十分ぐらいでメンチは戻ってきた。
ハンター世界の料理なのか、俺は食べたことのないメニューで。
でもすっごくおいしくて。ほっぺが落ちそう、というのはまさにこのことだと思う。
心底おいしかったと告げれば、当然でしょとメンチは立ち上がった。
ありがとね、とクッキーの入った袋を持ち上げてラウンジを去っていく。

とりあえずわかったことは、メンチは店長のファン。





ここでケーキ屋の店長の名前が。あ、名前っていうより愛称です。本名はもうちょい長い。

[2012年 1月 27日]