第127話

ハンゾーの刃がゴンの額に突き付けられた。
あともう少し強く押すだけで、急所を突かれてゴンは絶命する。

「…やっぱりお前は何もわかっちゃいねぇ。死んだら次もなんもねぇんだ。片や俺は、ここでお前を死なせちまっても来年またチャレンジすればいいだけの話だ。……俺とお前は、対等じゃねえんだ!」

確かに、こんなところで意地を張って死ぬのは愚かなこと。
普通はそう考えるものだけど、ゴンの表情は変わらずハンゾーを真っ直ぐに射抜く。
大きな瞳には何の濁りも揺れもない。本当に、澄んでいて。
優位に立っているはずのハンゾーの方が、必死な形相で汗を滲ませていた。

「……なぜだ。たった一言だぞ。それでまた、来年挑戦すればいいじゃねぇか」

ハンゾーの声に、やはりゴンは顔を変えない。
まるでゴンの方が勝者であるかのような光景だと、俺は目を細めた。
実力的にはハンゾーが上。けど、精神的にはもうゴンが勝ってしまっている。

「命よりも意地が大切だってのか!そんなことでくたばって、本当に満足なのかよおい!!」
「………父さんに、会いに行くんだ」

ぽつり、と呟いたゴンの声は静かで。けど皆に届いた。

「父さんはハンターをしている。今はすごく遠いところにいるけど、いつか会えると信じてる。…でも、もし俺がここで諦めたら、一生会えない気がする。……だから、退かない」
「……退かなきゃ、死ぬんだぞ」
「それでも…退かない」

笑みさえ浮かべてみせるゴンに、ハンゾーは目を閉じる。
理屈じゃないんだな、と漏らした声は何かを噛みしめるみたいで。
それまで揺れていたハンゾーの表情が急に感情を消した。
空気が張り詰める。次の行動をあいつが決めた、っていうのがわかった。

「まいった。俺の負けだ」

あっさりと降参したハンゾーに、ゴンが唖然とする。
まいったと言わせる術を思いつかないから次の勝負にかける。
そう告げたハンゾーはさっさと部屋の隅に移動しようとするんだけど。

「そんなのダメだよ。…ズルイ!ちゃんと二人で、どうやって勝負するか決めようよ!!」

自分が勝って合格になれるというのに、ゴンはむしろ怒った顔。
なぜわざわざ合格を受け入れず相手を刺激するのか、とクラピカたちは硬直。
うんうん、こういう突拍子もないところはさすがジンの息子だよなー。
自分の納得した方法でないと頷かない、というか。…めっちゃ迷惑。

背中を向けてたハンゾーが、顔を引き攣らせながら振り返った。
…言うと思ったぜ、と声を震わせてたかと思うと、ゴンに詰め寄る。

「馬鹿かこの!!てめえはどんな勝負しようが絶対まいったとは言わねえだろうが!!」
「だからって!こんな風に勝っても全然嬉しくないよ!!」
「じゃあどうすんだよ!!」
「だからさっきから言ってるじゃん!それを一緒に考えようって!!」

怒鳴り合いを一時中断したハンゾーが、冷静さを繕って腕を組んだ。

「要するに、だ。俺はもう負ける気満々だが、もう一度勝つつもりで真剣に勝負をしろと。その上で、お前が気持ちよく勝てる勝負方法を一緒に考えろと。そういうことか?」
「うん!」

堂々とにっこり頷いたゴンに、ついにハンゾーの血管がぶちっと切れた音がする。
アホかぁぁー!!と鋭いアッパーがゴンの顎に入り、小さな身体が吹っ飛んだ。
…あーあ、完全に気絶してるよあれ。っていうか、満身創痍だったもんな。
このまま寝かせておいた方がいいだろう、うん。

戻ってきたハンゾーに、キルアが難しい表情のまま声をかけた。

「…何で、わざと負けたの」
「わざと?」
「殺さず、まいったと言わせる方法ぐらい心得ているはずだろ。…あんたならさ」

キルアの質問に目を瞬いたハンゾーは、なんでか俺の方をちらっと見る。
え?いや俺を見られても。聞いてるのはキルアだし。
たしたしとキルアの頭を撫でながら、とりあえず首を振る。俺はわからないよー。

「…俺は誰かを拷問するときは、一生恨まれるのを覚悟してやる。その方が確実だし、気も楽だ」
「?」
「どんなヤツでも、痛めつけられた相手を見る目には卑屈な負の光が宿るもんだ。目に映る憎しみや恨みの光ってのは、訓練してもなかなか隠せるもんじゃねえ。しかし、ゴンの目にはそれがなかった」

腕を折られた直後だというのに、それを忘れてしまえるゴン。
ゴンの目には負の光はまったくなく、そんな彼をハンゾーは気に入ってしまったのだという。
戦う気を削がれる、というのは戦場にあって負けを意味する。
立派な敗因だ、と苦笑するハンゾーをキルアは無言でじっと見上げていた。

次の試合が始まるのを眺めながら、俺はとりあえずキルアの頭を撫で続ける。
意外にも嫌がれることもなく、むしろされるがまま。

「…大丈夫か、キルア」
「気に入るって、なんだよ」
「もうお前だってわかってると思うが」
「…え?」
「キルアだって、ゴンのことを気に入ってるだろう?試験に割って入ろうとするぐらいには」
「!」

ハンゾーとゴンの試合を止めようとしたのは、クラピカやレオリオだけではない。
キルアだって止めようという気持ちと戦っていた。
それはゴンのことを友達と思っているからで、死なせたくなかったから。
ゾルディックの人間にそんなことを思わせるなんて、十分にすごいことだ。

「…は」
「ゴンのことは気に入ってる。もちろん、キルアのことも」
「……べ、別に、そんなこと聞いてねーよ」

そう言いながらも最後の方は声が小さくなっていく。
なんだよー、自分がハンターとしての資質がゴンより劣ってるって評価されて悔しいのか。
しょうがない、キルアはまだ裏稼業から抜け出したばっかりで。
本当にやりたいことが見つかってるわけでもないんだ。

大丈夫、これからだよと頭を撫でる。
この先キルアは、ゴンと並ぶぐらいの資質と才能を見せる。それを俺は知ってる。

「それでは301番と350番、前へ!」

って、いつの間にか俺の番になってたあああぁぁぁぁぁぁ!?
物思いに耽ってる場合じゃなかったよ、やっべ、どうしよう。

とりあえずキルアから手を離して、息を吸う。
…ああギタラクルが中央に移動していく。やべー、行きたくないー。
のろのろと俺も歩き出して、部屋の中央に出る。
向かい合うお顔には針が刺さったままで、何度見てもグロイ。
うおおおおおおぉぉぉぉ、どうしようマジで怖いいいぃぃぃ。

イルミの針を使えば、俺に「まいった」って言わせるのは多分簡単で。
でも刺されるのは嫌だから、さっさと開始の合図と共に負けを宣言しよう。

「準備はよろしいですか」

審判の声に、俺は呼吸を整える。
よーし、言うぞ、言ってやるぞ、大丈夫だ躊躇いなく言え俺!!

「はじめ!!」

イルミが初動を見せるより先に!!

「まいった」

言ったああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!

…………………。
………………って、あれ?俺まだ、声出してない、けど?

「301番、いまなんと?」
「まいった」

カタカタと顔から異様な音をさせながら、不明瞭な声が届く。
……まいった…?まいったとおっしゃいましてイルミさん?
ちょ、ま、え、なんでええぇぇぇ!?

おいおい、俺が負けようとしてたのに何でお前が降参してんだよ!!
これじゃキルアVSギタラクルの試合をなくそう作戦が!!

すたすたと元の位置に戻っていくギタラクルを、俺はもう見送るしかない。
…問い詰めたい。襟首つかんでどういうつもりか聞いてやりたい。
だってイルミの実力なら、俺に勝つのは簡単なことのはず。
なのに………ああもう、くそ!

それだけ、キルアと戦いたい、ってことか…!





むしろ負けてくれてよかったじゃないか。

[2012年 7月 31日]