第142話
どさり、と音がしてまたゴンの小さな身体が倒れ込んだ。
顔は腫れあがって、もとの形がわからなくなってる。
瞼も腫れてたんこぶみたいになってるせいで、多分あれは目もほとんど見えてない。
立ち上がる足はがくがくと震えてて、もう血反吐も出ないような状態。
それでも、ゴンは何度も何度も立ち上がるんだ。
ここまでボロボロになってるゴンを見ていられなくて。
俺は途中から皆から少し離れた場所に移動して、木に寄りかかって目を伏せていた。
…ごめんよ、ちゃんと見守ってあげる勇気がなくて。レオリオもクラピカも、強い。
助けたいだろうに、ゴンの意思を尊重して手は出さない。
ボロ雑巾になっている仲間を前にして、拳を握りしめながらも信じて目を離さない。
気が付けば明るかった空がオレンジに染まり、夕暮れになってる。
でもカナリアもずっとゴンを阻むためにステッキを振るって、立ち続けてる。
だけど。
静かなカナリアの瞳の中の揺れが、少しずつ大きくなっている。
オーラが乱れるのを感じて、俺は伏せてた目を持ち上げた。
無表情に見えるままだけど。怯えてる、辛そうな顔をしてる。泣きそうにも見えた。
まだ立ち上がるゴンに息を呑んで、ステッキをぎゅっと握りしめて。
「…もう……やめてよ。…もう、来ないでよ!」
近づいてきたゴンをもう一度殴り飛ばすけど、さっきまでの勢いがない。
あんなにふらふらのゴンが、ふっとばされても立っていられるぐらいの力しか込められてない。
「もういい加減にして!無駄なの、わかるでしょう!?絶対にこの線を越えることはできないの。無理なのよ!………っ…あなた達も止めてよ!仲間なん…!」
クラピカとレオリオに叫んだカナリアが、言葉を止めた。
空が夕日に照らされる時間になるまで、ずっとそこに立っていた二人。
きっと二人は迷いのない表情でゴンをカナリアを見つめているんだろう。
クラピカもレオリオも、ゴンと一緒に戦ってるんだ。
気圧されたように一歩後退したカナリアは、最後に俺に視線を向けてくる。
まるで縋りつくような助けを求めるような表情は、迷子みたいだ。
「…なんでかな」
「…っ…」
「……友達に会いに来ただけ、なのに。…キルアに会いに来ただけなのに…!」
ゴンの声が怒りと悲しみに震えて、拳が震える。
そして感情のまま、ゴンは全てを吐き出すように叫んだ。
「どうしてこんなことしなくちゃならないんだ!!!」
それは多分、カナリアも同じ気持ちだったんだろうと思う。
どうして。なんで、こんなことをしないといけないのかって。
カナリアにはゴンとキルアが友達だって、ひしひしと感じられてると思う。
初対面でも納得させてしまうぐらい、ゴンの心には歪みや汚れがないから。
キルアを狙おうとする危険な存在じゃなく、ただの友達なんだって。
もうカナリアはわかってる。だからこそ、どんどん辛くなってきたんだ。
キルアの友達を、殴りたいはずなんてない。
できることなら歓迎して、キルアのもとへ連れていってあげたいはずだ。
だけど、それは許されていない。
暗殺者に友達なんて存在は必要ない。命令は侵入者を排除しろ、というもの。
責務と自分の心とがせめぎあって、カナリアの小さな身体の中で暴れてる。
見ていてすごく痛々しい姿だった。
「………ねぇ、もう足入ってるよ。殴らなくていいの…?」
「!」
ゴンの片足が、線を踏み越えてた。
これはカナリアの心が、本当の気持ちが勝ったことを示してる。
自分がしてしまったことに青褪めるカナリアに、ゴンは笑った。
励ますように、安心させるように。
「君は、ミケとは違う」
「…っ…」
「どんなに感情を隠そうとしても、ちゃんと心がある。……キルアの名前を出したとき、一瞬だけど目が優しくなった」
「………………。…………お、願い。キルア様を…」
カナリアの目尻に綺麗な涙が浮かぶ。
心からキルアを大事に思ってる。カナリアは、キルアの心を気にかけてくれてる。
ゾルディック家の跡継ぎとしてじゃなくて、ひとりの人間としてのキルアを。
………って、感動に浸ってる場合じゃない。
このままだとカナリアが、と俺は木から背中を離した。
「助けてあげて」
瞬きを止めれば、森の中からカナリアへと迫る石が見える。
全てがスローになるはずなのに、それでもかなり速い。しかもあれ、念で覆われてる…!?
両足をオーラで覆って一歩踏み込んだ俺は、一足飛びにカナリアの傍へ向かった。
げっ、超ギリギリじゃんか…!!このままだとカナリアの米神に石が激突する!
カナリアも流星街育ちだから、念は使えるはず。
でも纏だけの状態でオーラに覆われたあれを受けたら痛い。銃弾よりも貫通力があるぞこれ。
俺はなんとかカナリアの身体を抱え込んで、迫る石を叩き落とした。
…つってもいてえええぇぇぇぇ!!!一応、ちゃんと手の平をオーラで守ってたのに痛い!!
キキョウさんどんだけ強いの!?さすがゾルディック家当主の嫁ってこと!?
痛みのあまり瞬くと、勢いを殺しきれなくて俺はカナリアを抱えたまま吹っ飛んだ。
「!?」
「………大丈夫だ」
右手が全然感覚ないけど、穴が開いてるわけでもないしなんとか。
…よかった、手首から上が吹っ飛んだらどうしようかと思った…。
ひらひらと手を振ってると、腕の中のカナリアが目を開いたまま硬直してることに気づいて。
おーい?と手を目の前で振ってみるけど、反応がない。…あれ?びっくりさせたか?
「まったく、使用人が何を言っているのかしら。まるで私たちがキルをいじめているみたいに。ただのクソ見習いのくせして失礼な」
森の中から姿を見せた女の人に、ゴンだけでなくクラピカもレオリオも驚いたみたいだった。
…ま、そらそうだよな。ふりふりのドレスを着て、優雅に扇を手にした女の人。
なのに目には謎のゴーグルみたいなのをつけて、顔は包帯でぐるぐる。
唇に塗られたルージュが際立ちすぎて、いっそ不気味なぐらいだ。……ホントは美人なんだけど。
そんでもって、キキョウさんの横にはちょこんとカルトもいる。
ゴンのことをじっと見つめて、かすかに眉を寄せたみたいだった。
…お兄ちゃんの友達、ってんでやっぱ複雑なのかな。
「、大丈夫か!」
「何が起こったってんだ。何かがかすめたのしか見えなかったぞ」
「………ただの小石だ」
「にしてもよ…うお!痣になってんじゃねえか!」
いや、むしろこれぐらいで済んでよかったと思うよ。
ようやく感覚が戻ってきて、手を握ったり開いたりしてみるけど。ちょ、ちょっと痛い。
ぎこちなくなる開閉に改めてゾルディック家の恐ろしさを実感した。
「ごめんなさいねさん。まさかあなたが飛び出してくるとは思わなかったものだから」
「……いえ、俺が勝手にしたことですから」
「たかが見習い。放っておいてくださってよろしかったのに」
「キキョウさん。いくらなんでも頭を狙うのは可哀想だ。しかも女の子なのに」
顔に傷残ったら大変じゃんか、それはキキョウさんだって骨身に沁みてるだろうに。
カナリアの頭を撫でてやってると、ようやく我に返ったらしくはっと肩が揺れた。
「様…!お怪我、手が!」
「このぐらい平気だ」
「ですが!!キルア様になんと…!」
「いや、こんな小さな傷、気にすることでもないだろ」
痣なんて気づかないうちにつくってたりする。それに俺は男だし、見える場所にできたんでもない。
心配することないよ、ってことと感謝の気持ちをこめて、もう一度カナリアの頭を撫でた。
それから立ち上がってカナリアも立たせると、キキョウさんはひとつ息をついてゴンに向き直った。
「あなたがゴンね。イルミから話は聞いています。あなた方がうちの庭内に来ていることも、すでにキルには言ってありますよ。キルからのメッセージを、そのまま伝えましょう」
来てくれてありがとう、すげー嬉しいよ
でも、いまは会えない
ごめんな
「…挨拶が遅れましたわね。私、キルアの母です。この子はカルト」
「キルアが俺たちに会えないのはなんでですか」
「独房にいるからです」
俺から聞いてたとはいえ、身内から独房って単語が出てくると衝撃らしい。
レオリオが素っ頓狂な声を上げて驚いてた。うんうん、それが普通の反応だよ。
「キルは私と兄に刃向い、家を飛び出しました。しかし反省し自ら戻ってきました。いまは自分の意思で独房に入っています。ですからキルがいつそこから出てくるかは私にも………キル?キルがいないわ!!」
急にヒステリックな声を上げ始めたキキョウさん。おかげで俺らは置いてけぼりだ。
叫んでいる内容からして、キルアが独房から出たってことなんだろう。
キキョウさんがしてるゴーグルみたいなのは、家の中の様子を見ることができるらしい。
監視カメラと直結してんのかなー、便利なような怖いような。
キルアが自由になったと分かって、キキョウさんはくるりと身を翻した。
「まったくお義父様ったら…!私、急用ができましたのでこれで」
「待って下さい!!俺たち、まだしばらくこの街にいます。キルアにそう伝えて下さい」
「……わかりました。そう伝えておきましょう」
優雅だけど物凄いスピードで去っていくキキョウさん。
だけどカルトはその場にとどまって、じっとゴンたちのことを見つめてた。
………というかあれは、睨んでるな確実に。
お兄ちゃんを連れていく嫌な奴等、って思ってるのかもしれない。
「カルトちゃん!何してるの、早くいらっしゃい!!」
「…はい、お母様」
最後に一回俺の方を見て、それからカルトは黒髪をさらりと揺らし消えた。
なんとかカナリアに怪我をさせずに済んだけど。
…このせいで、キキョウさんとかカルトに嫌われてたらどうしよう。
キルアがゾルディック家を出ればここに来る機会はもうないだろうけど。
いやでも、イルミのパシリで来なきゃいけないときもあるかもだしな。
そんときに毒殺されたりしませんよーに!!
女性を守らねば!というのは、じーちゃんに叩き込まれた習性です。
[2012年 11月 29日]