第159話―じっちゃん視点

「じっちゃん、いるか?」

響いた声にわしは幻聴でも聞こえてきたのかと一瞬疑った。
まだそこまで耄碌したつもりはないが、とランプに火を灯して持ち上げる。
真っ暗な地下水路を照らす明かりの先には、焦げ茶の瞳をかすかに細めた男が立っていて。
見慣れた顔であることを確認して名前を呼ぶ。か、と。

わしとこいつが出会ったのは地上のゴミ山だ。
いま思い返せば短い期間だったが、寝食をしばらく共にしていた。
何を考えているのかよくわからないところのある若者で、かといって無法者というわけでもない。
むしろ律儀な性格のようで、ゴミ山の生活中も何かとこちらの世話も焼いていた。
外の世界に行ったかと思えば、これまでの礼だと改めて顔を出したこともあった。

物好きなのだろう。そういう人間は意外とそこらに転がっている。

「久しぶり」
「変わりないようじゃな」

怪我をしている様子もなく、相変わらず飄々とした空気。
………ん?だが待てよ。

「いや、少し落ち着いたか」
「…落ち着いた?」
「安定感が増したというか。嫁でももらったか」
「まさか」

即答しただったが、それにしても以前の不安定さがなくなったように感じられる。
強い男だったがどこか危なっかしい空気があり、おとなしい性格と凶暴な殺気とが混在していた。
刺々しさが薄れたというか、抜き身だった刃にきちんと鞘が納まっているというか。

「今日はじっちゃんに報告したくて」
「報告?」
「ハンター試験、合格したんだ」

淡々とした声のまま。しかしかすかに嬉しそうな響きがある。
戸籍をもたないはまっとうに生きることに憧れていたらしく、その一歩をようやく踏み出したようだ。

「お前さんなら受かるだろうな。これで堂々と日の下を歩けるわけだ」
「まだハンター証を使う機会はあんまりないけど」
「まあ、注意は必要じゃろうな。貴重品も貴重品だ」

この男なら、やすやすと奪われはせんのだろうが。

「それで?ハンターになってお前は今後どうするつもりだ」

ただの報告だけにこの地に足を運ぶとも思えん。
しかもいつもと違って地下で過ごしているわしのもとを、わざわざ訪れるとは。
いったいどんな用件なのかと思ってみれば。

「…とりあえず、そろそろ自分の家が欲しい」
「なら不動産にでも行けばいいだろう」
「できるだけ誰にも知られなくないというか…。足がつくようなことはしたくないんだ」

ハンターになったからといって過去が全てリセットされるわけではない。
それなりに危険な橋を渡るようなこともあったのか、安心できる住居が必要のようだ。
だとして、それをわしに相談にくるということは。…知っているのだろう。
色々と耳ざといらしいな、と考えていると目の前に酒が差し出された。

「じっちゃん、これ」
「?……酒か」
「かなり良いものらしい」
「……やれやれ」

やはり知っていてきたらしい。
酒を受け取り、とりあえず進路を変更した。こいつの会いたがってる人間がいる先はこっちだ。

黙ってついてくるの足音を背中で聞きながら、通い慣れた扉の前に立つ。
ノックして名乗ってから扉を開くと、強めの香水が鼻に入ってきて顔を顰めた。
まったく、なんだってこんな甘ったるい匂いが好きなのか。
文句でもつけてやろうかと思ったのだが、先に奥から家主の声が響いた。

「今日はまだ晩酌には早いわよ」
「客を連れてきてやったんじゃ」

ヴェールで顔を隠した女が奥から杖をつきながらやってくる。
最近になって膝の調子が悪化したため、仕方なくわしが毎日ここへ顔を出すようになった。
まったく世話が焼ける女だ。だというのに当人は呑気な様子で、よしょと腰を下ろす。

「こんなところまで私を訪ねてくるなんて、物好きもいたものねぇ」
「お前さんの妙な趣味も、役に立つことがあるんだろうさ。ほら、から酒だ」
「あら、私の好きな銘柄じゃない。ありがとう、ちゃん」
「………いえ」

酒を受け取ったヤツは、上機嫌だ。つまり酒が気に入ったということ。
依頼を受けてくれるか否かはこれで決まる。は文句なしに合格らしい。

「私はマゼンダというの。この年寄りとは悲しいことに腐れ縁でね」
「わしが年寄りならお前も年寄りじゃろうが」
「あらあら、そんなことネイビーにも言えるの」
「あいつはいつまでもわしにとっての最高の女じゃ」

わしとマゼンダの恒例のやり取りだが、にとっては蚊帳の外。
黙って会話を見守るに、マゼンダが楽しげに笑った。そしてわしらの関係を説明しはじめる。
わざわざこいつに教えてやるようなことでもないだろうに。

所詮幼馴染というやつで、マゼンダの親友とわしが結婚したというだけ。
妻になったネイビーは若くして先立ってしまったが、幸せと呼べる時間だったと思う。
その後はわしもマゼンダもお互いにやりたいことをやって、自由に過ごしていたのだが。
まさかこんなゴミ山の地で再会することになろうとは。
再会したからといって、ろくに顔を合わせはしなかった。わしは地上で、ヤツは地下での生活。
しかしまあ、昔のよしみだ。調子が悪いという話を聞いてからは様子を見るようにしている。

「年をとっても、この男の顔を見ないといけないなんていやあね」

まったく、腹の立つことしか言わん女だ。
誰がお前の面倒を好き好んでみるものか。
ネイビーが生きていたらそうするだろうから、やっているだけのことなのに。

「仕方なかろう。ネイビーの話をできる相手なんてお前ぐらいしかおらんのだ」
「昔話に花を咲かせるようじゃ、本当に年寄りねぇ。それで?ちゃんはどんな物件をお探し?」

突然の話題転換にが目を瞬いた。

「この女の話の突飛さは気にするな。用件を済ませればええ」
「………えっと、俺の招きたいひと以外には知られずに済むような家を探してます」
「つまり隠れ家的なものね。そうね、ちょうどいいところが残ってるわ」
「ほう、運がいいの」

マゼンダは不動産のようなものを生業としている。
ようなもの、というのはだいぶ特殊な家ばかりを扱っている上に客を選り好みするからだ。
しかも道楽のようなものらしく、気が向かなければ物件を紹介しないときている。
酒好きのマゼンダには彼女の好む銘柄の酒を土産に持っていくのが一番なのだが。
…まさかそんなことまで知っているとは驚きだ。

「それじゃ、紹介してあげる。ついてらっしゃい」
「わしは先にこれを飲ませてもらうぞ」
「態度のでかい客ね。おつまみでも持ってきなさいよ」

そう言いながらも嫌だとは言わない。
とりあえずひと口飲ませてもらってから、つまみになりそうなものを探すとしよう。

の持ってくるものに、間違いはない。




安定感が増したのはウイングさんの修行による成果です
お酒の銘柄がいいものだったのもウイングさんのおかげです

[2013年 4月 16日]