第171話
「………あれ?」
円で確認してもカルトが追ってくる気配がなくて、俺は飛び移った木の枝で止まった。
さすが暗殺者、って感じでカルトは気配を殺して絶を使うのが超絶上手い。
だから普通に逃げてると接近に気付けないため、逃げるとき俺は円を広げてる。
おかげですぐに鬼であるカルトから逃げられるわけだけど。
カルトからすればどうしてバレてしまうのかわからず、苛々しているみたいだった。
鬼ごっこをするようになって三日。
キルアもだけどゾルディックは飽きっぽいところがある。
もうやめやめ、って感じで離脱した可能性もあるけど。…罠っていうのも捨てきれない。
とりあえずカルトの様子を確認しようと円を広げたままで俺は来た道を戻った。
そうすると小さな影が蹲っているのを感じ取ることができた。その傍に、大きな影があることも。
………ってこれミケか?伏せでもしてるような感じだけど。
もしかして鬼ごっこに飽きてミケと遊ぶことにしたのかな、と思ったんだけど。
近づいていってふわりとかすめた匂いに俺は思わず眉間に皺を寄せた。
だって、これ。血の匂いだ。
「…カルト?」
「………」
ようやく目に見える場所まで近づいて地面に降り立つ。
俺に振り返ったカルトは表情はあまり変わらないながら、瞳はゆらゆら揺れてて。
不安そうな泣きたいのを我慢してるような、そんな子供らしい表情を隠してるみたいだった。
「…もしかして、カルトが?」
「………触ったら、壊れちゃった」
カルトの目の前に大人しく伏せをしているミケは、肩口から血が溢れている。
赤く染まった毛の間から覗いてるのは多分…肉と骨と…おうふ。
こんだけ落ち込んでるってことは、カルトはミケを攻撃しようとしたわけじゃないんだろう。
遊ぼうとしたのかたまたま触れたのかはわからないけど。
オーラを制御できない(というかする必要性を感じていない)カルトが触れればどうなるか。
ウイングさんが壁に触れただけで亀裂を作ったことを思い出す。
いくらミケがゾルディックの猟犬で大人の男たちを噛み殺せるばかでかい化け物だとしても。
念を習得してるわけもなし。無防備な状態で念の攻撃を受けたようなもんだ。
その上、カルト苛々してたからな。より攻撃的なオーラになってただろうし。
「カルト」
「…何」
「こういう場合は壊れたっていうんじゃなくて、怪我をしたっていうんだよ」
「……?」
その違いがきっとカルトにはわからないんだろうな。
不思議そうに見上げてくる目は純粋な子供のそれで、だからこそすごく残酷な怖さがある。
子供は何の悪気もなく虫の羽をとったり、蟻の巣を壊したりする。
あれは遊びのようなもので、どれだけひどいことかなんてわからない。
教えられないとわからないものなんだよな。そしてゾルディックではそれは教えられない。
暗殺を生業とする人間に優しさや人としての倫理なんて邪魔なんだろう。
でもミケが傷ついてしまって泣きたくなるぐらいには、カルトだって優しさを持ってる。
だから俺はしゃがみ込んでカルトに目線を合わせると、さらさらの黒髪を撫でた。
「ミケとはよく遊ぶんだろう?」
「…うん」
「でもいまのお前じゃ、オーラが武器のように鋭すぎてミケがこんな風に怪我をする」
「………うん」
「一緒に遊びたいなら、ちゃんと制御しなきゃダメだ。纏の状態を維持できてたなら、こんな風にならなかったはずだよ」
「…そうなの?」
「纏をして、触ってごらん」
自分が触れたことでミケが怪我をしたことは怖かったのだろう。
纏の状態になったカルトはすごく恐る恐ると小さな手を伸ばした。
すごいなと思ったのは、血がまだ流れている状態でミケは身動きしなかったこと。
ミケが呼吸をするたびに肩口から新しい血が流れてくる。痛々しいなんてもんじゃない。
なのにミケは悲鳴ひとつ上げず、カルトに対して牙を剥くこともない。
どこまでも色のないガラス玉のような瞳で主をじっと見つめているだけだ。
訓練された本物の猟犬、という存在の恐ろしさを改めて教えられる。
……多分ミケはゾルディック一族相手なら、その瞳を濁らせることなく殺されるんだろう。
「…あったかい…」
「な?ちゃんと触れるだろ」
「うん」
「だからちゃんと纏は習得しておこう。ミケと遊べなくなる」
「………うん、覚える」
「カルトならすぐだよ。あ、それと」
「?」
「ミケに痛い思いをさせただろ。それは悪いことだ」
「………そうなの?」
「カルトはミケに怪我をさせたくてわざと触ったのか?」
「ち、違う!」
痛い思いをさせるのが悪いこと、っていう認識がないことに眩暈がしたけど。
そ、そうだよな、ゾルディックは家庭内で拷問とかするんだった。
「そうしようとしたわけじゃないのに、怪我をさせたり壊したり。それって良いことか?」
「………仕事以外だと、ダメ…かも」
「うん、なら謝ろう」
「謝る?」
「ミケに。悪いことや失敗したなら謝る。仕事する上でも人間関係を続けるでも大事なことだ」
謝ってすむ問題じゃねえよ!!ってときもあるけどな。
でもまずは謝るってすごく大事なことだ。………謝ったら負けってときもあるけどさ。
そんな世知辛い駆け引きについてはカルトに言う必要はないだろう。
だって俺が教えなくたってゾルディックで教わるだろうし。力技でねじ伏せそうだし。
「…ごめんなさい」
カルトがしょんぼりと謝ると、ミケが鼻先を寄せてきた。
ぱっくり人を丸飲みできそうな口が近づいてきても勿論カルトは怯えない。
そっとミケの顎を撫でてやれば、嬉しそうに目が細められた。あ、こういう顔もするんだミケ。
「さて、カルトもちゃんと謝ったことだし。ご褒美だな」
「え?」
玩具を壊しちゃった子供がきちんと謝れたなら、それを直すのが大人の仕事。
…まあ今回は玩具じゃなくて生き物だったんだけど。普通は病院だけど。
幸いなことに俺は治す手段を持っているわけで。
ミケの背中に乗って大丈夫かカルトに確認すると、頷きが返ってきた。
んじゃ遠慮なく、と背中に飛び乗る。うわ、高い!伏せしてんのにすげえ高い!
背中に腰を下ろして、いまだに血が流れてる患部を俺のオーラで覆う。
カルトの念で傷つけられた箇所だけど、これならそんなに時間を戻さなくても平気そうだ。
≪刻まれた時間(タイムレコード)≫は実は念での攻撃を回復させるのに向いてない。
強化系みたいなタイプの攻撃ならそんなに困らないんだけど。
俺のこの時間を進めたり戻す能力は<操作系>寄りの性質を持ってる。
ほら操作系ってさ、すでに別のオーラの制御下にあると支配できなかったりするだろ。
それと同じで、念によって損傷したり異常状態をきたしてると回復しにくくなる。
クロロが念弾を受けたときにきっちり回復してやれなかったのもこれが原因だ。
この能力の効果範囲が無機物>植物>動物>人間の順なのもそのため。
俺以外のオーラがある対象は時間の影響が出にくい。
逆に言えば、絶をしてもらえればけっこうな速度で時間をいじれるんだけどさ。
んで俺自身が対象の場合は効果抜群だよ。何しろ自分のオーラだから。
カルトが念で傷をつけたのは表面だけで、あとは連鎖反応で裂けてるだけ。
だからミケの傷を塞ぐのはそれほど難しくないしオーラも消費せずに済んだ。
傷は多少残るけど、これぐらいならすぐに消えるだろ。
「これでOK」
「………すごい。、いまのどうやったの?」
「俺の念能力。あ、けどイルミには内緒な」
「どうして?」
「自分の能力を他人には明かさないんだよ。カルトだって、自分の武器や攻撃手段をひとに教えることはないだろ?」
「うん。でも僕には見せてくれたじゃない」
「言ったろ」
「?」
カルトの隣に着地して、俺はもう一度艶やかな黒髪を撫でた。
「ご褒美だって」
いやあ、ミケには可哀想だったけど良いハプニングだったよな。
おかげでカルトは纏の大切さを理解してくれたみたいだし。
………まさか一週間も待たずに完璧に習得してくるとは思わなかったけどな!
やっぱりか!やっぱりできるのにやらなかったのか!このむらっ子め!!
えっと…意外と修行のターンが…長くなりそう、な
[2013年 8月 23日]