第136話
俺を見たキルアがびっくりした顔で見つめてくる。
ハンター試験のとき以来だから、なんと声をかけたものかと俺も迷う。
無言の見つめ合いをしてしまう俺たちの横で、イルミがケーキの入った箱を開け始めた。
……お前空気読めよ。
脱力して溜め息をつくと、キルアも居心地が悪そうに宙ぶらりんな身体を揺らす。
こんなマイペースな兄を持つと大変だろう。真顔で何考えてんのかわかんないし。
そのくせ、ものすごーく愛情深いんだから困ったもんだ。
しかもかなり愛情表現が歪んでるわけで、身内にしたらめっちゃ迷惑だろう。
「キル、がいつものケーキ買ってきたんだけど」
「………だから?」
「うん。ちゃんと反省してたら食べさせてあげようと思って」
「………」
食べ物で釣るとかキルアを子ども扱いしすぎだろイルミ!!
いくら甘党なキルアでも、ケーキひとつに釣られるだろうか。…いやここのケーキ特別だけど。
めっちゃ美味いし、心は揺れるかもしれないけども。キルアはなー。
プライド高いから、こういうのはむしろ逆効果なんじゃなかろうか。
基本的にイルミに対して(っていうかシルバさんやゼノさん以外には)反抗的だし。
む、と眉間に皺を寄せたキルアは案の定ぷいっと横を向いた。
うん、見たくないよな。好きな食べ物を苦手な人間が手にして誘ってくる光景なんて。
イルミも予想してたのか、やれやれと無表情のまま肩をすくめた。
そんでおもむろに箱からプラスチックのフォークを取り出して、ケーキのひとつをひと口サイズに。
切り分けたそれをフォークで刺したかと思うと、なんでか俺に向けて差し出してきた。
「………イルミ?」
「キルが食べないならが食べていいよ」
「…いや、買ってきたの俺なんだけど」
「あ。あとでちゃんとお金振り込んどくから」
「そういう問題じゃなくてだな」
「はい、あーん」
むぐっ…!ちょ、気管に入りそうだったじゃないか殺す気か!!
甘いクリームが口内に広がって、あぁやっぱり店長の作るケーキ最高…とうっとり。
だけどキルアが見てることを思い出して慌てて気持ちを引き締めようとしたんだが。
「はい、もうひと口」
「………………」
どうしよう、どんどん餌付けされてくヤバイ。
極上のケーキが差し出されれば勝手に口開いちゃうし食べちゃうし!
ここくる前にも新作ケーキを食べてきたはずなのに俺ってば意地汚い!!
さすがに勘弁、とイルミのいまだ動く手をわしっとつかむ。
……恐ろしい、終わりのないわんこそばみたいじゃないか。止まらなすぎる。
「イルミ…ケーキはこのために買わせたのか」
「んー、単純に母さんが食べたがってたのもあるけど」
「……なら俺に食わせてどうする」
「これキルの分だから、別にいいよ」
よくないだろ!?キルアの分はキルアの分でちゃんと食べさせてやれよ!!
見てみれば、いま食べてたケーキはもうひとかけらしか残ってない。
甘いもの大好きなキルアに何してんだよ、お前お兄ちゃんだろー!
こんなに可愛い弟に対してどうしてそう大人げないことするかな。
箱の中に入ってたもうひとつのプラスチックのフォークを取り出して。
それで残ったひとかけらを刺して、キルアの前まで移動。イルミは何も言わない。
って、うわー…近くで見ると傷が本当に痛々しい。
鞭っぽい痕とか、根性焼きみたいなのも残ってる。切り傷や打撲だけでも辛いだろうに。
鞭や火傷の痕ってなかなか消えないんだぞ。いくら回復力異常なゾルディックだってな。
可愛い家族にこんなことするなよな!しかもキルアの肌綺麗なのに!
「キルア、ごめん」
「…何が?」
あ、めっちゃ不満そうな顔してる。
目の前で自分の分のケーキ食べられたらそら怒るよな。
好物を目の前でドヤ顔のじーちゃんに食べられたときの憎しみを俺は忘れていない。
くそう、あのジジイ。大人げないにも程があんだろ、何が早い者勝ちだ畜生!
………っとと、いまは個人的な恨みを思い出してる場合じゃなかった。
そっぽ向いてるキルアの顔を、ちょっと強引に俺の方に向ける。
「ほら、ひと口分しか残ってないけど」
「んむ」
「新作ケーキなんだ。俺も久しぶりに行ったんだけど、メニューが半分ぐらい変わってた」
「………」
「今度、一緒に行こう。店長もきっと喜ぶ」
無言で咀嚼してたキルアが、俺のことをじっと見つめてきた。
どうしたんだろうか、と首を傾げる。するとキルアが浮いた両足をぶんと揺らして。
その反動でキルアの身体が俺の方に近づいてくる。
思わず両手でキルアの腰あたりを受け止めると、俺の口の横にキルアの唇が触れて。
べろり、と舐められてびっくりした。
「…キルア?」
「クリーム、ついてた。あーあ、こんなんじゃ足りないっつーの」
「……だろうな。早くお仕置きが終わるよう祈ってるよ」
「当分無理だと思うぜ。だろ、イルミ」
「キルが反省すれば、すぐにも出してあげるよ」
「反省してっから大人しくやられてんだろ」
「本当の意味での反省じゃないだろう?も何か言ってくれよ」
「……家族の問題に立ち入るつもりはない」
というか、ゾルディック家の方針に一般人が口を挟めるはずもない。
……はあ、本当に生傷だらけだな。治してやれたらいいんだけど…ううむ。
イルミの前で念を使うのはちょっと…怖い、し。勝手に治したら怒られそうだし。
「キルア」
「…何」
「お前はまだ子供だから、シルバさんやキキョウさんの言うことは聞かなきゃいけない」
「………何だよ、それ」
「親や兄っていうのは、子供を守るためにうるさく言うものだ。それは実際、保護になることが多い。………だけど」
「…だけど?」
「お前が真正面から本気で伝えたいことがあって、きちんとそれを貫いたんなら、そのときは俺はキルアの望んだことを応援するつもりだ」
「!」
「」
ぞわり、とイルミのオーラと殺気が膨れ上がる。うおお、背筋が恐怖でぞわぞわする!
だ、だけどこれは譲れない部分なんだ。ハンター試験の後だって俺ちゃんと言ったよな。
「俺は、心からキルアが望んで決めたもののためなら、力を貸す」
「………」
「キルに飴をやりすぎだ」
「お前は鞭をしすぎだ」
「甘やかしてもキルのためにならない。危険な要素は全て排除すべきなんだよ」
「可愛い子には旅をさせろ、とも言うだろう。…積極的に手を貸すわけじゃない。キルアが、お前やシルバさんにすら対抗できるぐらいの意志を持つことがあれば、の話だ」
いまのキルアは、イルミやシルバさんを前にしたら本気で抵抗はできない。
その強さがないし、自身でもそれを自覚しているから。
だけどそう遠くない未来、もっともっとキルアが強くなって。
貫きたい強い想いを持つこともできたとき、イルミにだって抗うことができるはず。
イルミの言う通り、キルアは特別な子だ。ゴンと同じぐらいの才能を秘めている。
だからその日が来たときには、俺は躊躇うことなく応援したいって思う。
………実力的に、応援しかできないんだけどさ!!
「イルミ兄ぃ、が来てるって聞いたんだけど」
「…ミルキか。丁度いい、このケーキをが持ってきたから母さんとお茶でもしててくれ」
「ケーキ?もしかしていつも持ってくる……お!うまそう!」
「。俺は俺のやり方でいかせてもらうから、邪魔はしないで」
「………わかってるよ」
「うん。じゃあ後から俺も合流するから、はミルキと母さんのとこに行ってて」
イルミには逆らえないため、俺はケーキの箱を大事に抱えたミルキと拷問部屋を出る。
最後に振り返って見たキルアは、さっきよりもちょっとだけ瞳に光を取り戻してて。
俺に向けてひとつ頷きを返してくれた。そのことに、少しほっとする。
「そうだ、この間出たゲームが二人プレイでないと楽しめないのがあったんだ。今晩付き合ってよ、お金出すし」
「……遊ぶぐらいで取り引きしたりしないよ。クリアまでに時間どのぐらいかかる?」
「んー、俺となら十時間もあればいけるんじゃない?途中までは進めてあるし。あ、つまらないなら最初からスタートでもいいけど」
「いや、セーブしてあるところからでいい。じゃあケーキを食べたらやるか」
「よし!もイルミ兄もキルにばっかり構うから、面白くないんだよ」
キルアは危なっかしいところあるから仕方ないんじゃないかなー。
ミルキはそれほど外に出ることもないし、むしろ危険に自分から近寄らないだろうし。
基本は家でゲームしてるだけだろうから、構うと逆に迷惑なんじゃと思ったりもする。
でもそっか、寂しかったりもするのかなー。こういうとこまだ子供っていうか。
……初めて会ったときはもうちょっとスリムだったんだけどな。
やっぱずっと引き籠ってるといけないよな。
ゾルディック家の人間ですら、こんなにぷにぷにに。
ミルキさんお久しぶりでーす!
[2012年 10月 7日]