第177話
「ミトさーん!」
走っていくゴンの背中をキルアがぼんやりと見送る。
洗濯物を干してたらしいミトさんが振り返って、目を大きく見開いたのが遠目にもわかった。
おお、あれがミトさんか。素敵なお姉さんでお母さんなミトさんだ…!
天空闘技場を出発した俺たちは飛行船に乗り込んで、その後は船で海路を進んだ。
そんでくじら島に到着したらひたすら徒歩。のどかな風景が広がってて、空気もおいしい。
この場所でゴンは育ったのかと感慨深い。キルアは「田舎…」って呟いてたけど。
ゴンの野生児っぷりを考えたら予想できたことだろ、って答えたら素直に納得してた。
物珍しそうにあたりを見回しながら進んでたキルアだけど。
ゴンを抱き締めるミトさんを眺めて、ちょっとだけ気後れしたように足を止めた。
ああいう家族らしいあったかい空気って馴染みがないだろうし。
けどミトさんはとっても大きな女のひとだから心配することないのに。
だから俺はキルアの背中を押してゴンたちのもとへ向かった。
「あ、おい、!」
「お邪魔するならきちんと挨拶しないと」
俺たちに気付いたミトさんがゴンと何やら話してるのが見える。
どうやら簡単にゴンが紹介してくれたみたいで、俺たちが近づく頃にはミトさんは笑顔。
いらっしゃい、と包み込むような柔らかい声で迎えられてじーんとする。
母親の記憶がない俺としては、やっぱりこういう母性的な雰囲気に弱い。
「はじめまして。といいます」
「は、はじめまして。…キルアで、す」
「はじめまして、ミトです。二人ともはるばるいらっしゃい」
穏やかな歓迎はそこまでで。
「もう、帰ってくるなら先に教えてよ。何も用意してないわよ」
「いいよ、適当に」
「何言ってるの!せっかくお友達が来てるのに」
家に招いてくれたミトさんはぷんすか怒りながら料理の準備を始めた。
その手際の良さといったら。家事のエキスパートなんだろうなーってのがすぐわかる。
あんぐらい段取りよく料理できたらいいなぁ、俺もまだまだだ。
「あ、そうだ。ご飯作ってる間にお風呂入んなさいよ。服も全部荷物から出しておいてね、洗濯するから」
「うん、後で」
「今!十秒以内!」
そして始まるカウントダウンにゴンが慌ててキルアの腕を引っ張る。
あはは、いかにも母と子のやり取りで微笑ましいな。
「も一緒に入っちゃおうよ!」
「三人で平気か?」
「うん、大丈夫。シャワー浴びるひとと交互に入ってけば」
「わかった。お湯いただきます」
「えぇ、ゆっくり疲れも流してきてね」
こんな風に完全にお客さんとしてお邪魔する機会はあんまりない。
常識のない連中とばかりつるんでるから、最終的に俺が世話を焼くケースが多くて。
そもそも穏やかな日常の空気に触れる機会自体が少ないから、俺涙出そう。
これだよ、俺が欲しいのはこういうの!普通に風呂入ってご飯食べて寝られる環境!
幸せを感じながらお風呂から上がると、テーブルにはご馳走がずらりと並んでた。
おおおぉ…この短時間にどうやってこれだけの量を作ったんだ。
ゴンとキルアも目を輝かせ、すぐさま料理争奪戦が開始される。
相変わらずの食べっぷりだ。これは作ったミトさんも嬉しいに違いない。
食べながらハンター試験であったことを報告するゴンも楽しそうで。
話を振られたキルアがちょっとだけ照れ臭そうにしながら補足を加えていく。
話したいことがいっぱい溜まってたんだと思う、ゴンはすっごく饒舌だった。
やっぱりゴンにとってミトさんは大事な家族なんだぁ、と微笑ましくなった。
ミトさんもお母さんの表情でゴンの話を聞いてたけど。
ハンターライセンスをゴンから見せてもらったときに、えいっと折ろうとした際の顔は本気だった。
「ミトさん、キルアに島を案内してくるね!」
「お弁当は?」
「いいよ、森でなんかとって食べるから」
「マジでいかねーの?」
「あぁ、長旅でちょっと疲れた。俺は休ませてもらうから、二人で楽しんでこい」
あんだけ船に揺られて徒歩移動して、さらに遊び回ろうっていうんだから子供は元気である。
いってきまーす、と出かけていく二人に手を振って俺はミトさんと家の中に戻った。
「あ。洗い物手伝います」
「大丈夫よ、ゆっくり休んでてちょうだい」
「いえ、ご馳走になったのでこれぐらいは」
つーか尋常じゃない量をゴンたちは食べるから、洗い物も凄まじいことになってる。
これを放っておくのはいかんだろ。おばあちゃんに手伝わせるのも申し訳ない。
腕をまくって流しに向かうと、ミトさんもじゃあお願いするわと受け入れてくれた。
「もゴンと一緒にハンター試験を受けたのよね?」
「はい。すごく真っ直ぐなゴンに、俺たち皆力をもらってました」
「そう。…頑固なところだけじゃなくて、そういう影響力まであいつに似たのかしら」
「あぁ…ジンですか」
確かにジンはめっちゃ頑固だし、皆を惹きつける力があるよな。
……ゴン以上に周りを引っ掻き回すし迷惑かけてくれる、ものすごい迷惑なヤツだがな!
ゴンはあのまま素直に成長してほしい。ジンみたいな台風男になってくれるな。
………………すでにキルアとかレオリオあたりが振り回されてる気がしないでもないけど。
皿を拭く手を止めてミトさんが俺を見上げた。
「……ジンを知ってるのね」
「何回か会ってます。ゴンには言ってませんが」
「そうなの?」
「ゴンが自分で辿り着かないと意味がないかと思って。…あと、ジンのことはあんまり思い出したくないというか、触れたくないというか」
「もしかしてあいつが迷惑かけたのかしら」
「本人にそのつもりはないでしょうね。…ものすごく振り回されました」
「相変わらずなのね、まったく」
呆れた顔で溜め息を吐いたミトさんはまた作業を再開する。
ゴンの父ジンとミトさんはいとこ。多分ミトさんはジンのことが好きだったんじゃないかな。
ミトさんはゴンの育ての母親で、その愛情は本物だ。
だからこそジンに似ていくゴンを見るのが辛かったりするんじゃないかなって思う。
……危険に自分から突っ込んでいくような息子を持ったら、心配でたまらないだろうなー。
「はキルアのお兄さん、ってことでいいのかしら」
「…ゴンがそう言ったんですか?」
「えぇ。自分にも兄ができたみたいで嬉しい、って話してた」
そう言ってもらえて俺も嬉しいよゴン…!またも涙出てきそう。
「俺も、キルアもゴンも本当の弟みたいで…すごく助けてもらってます」
「………私はここを離れられないから。ゴンのこと、よろしくね」
「俺なんかでよければ」
「傍にいるあなたにしか頼めないのよ」
びしっと人差し指を突きつけられて、俺はちょっとだけ顎を引く。
強気な表情を見せたミトさんがその後ですぐににこっと笑ってくれた。
お願いね、と優しい声で頼まれれば俺には頷くことしかできない。
ゴン、お前本当に。本当にさ、幸せ者だぞ。
帰れる場所があること、ちゃんと感謝して大事にしろよ。
「…ならミトさんも」
「ん?」
「元気でいてください。ゴンが帰ってきたいと思ったときに、いつも通りに迎えられるように」
「………そうね、そうするわ」
「帰れる場所があるってきっと心の支えになりますから」
「にはある?帰れる場所」
「……キルアたちが、いまはその場所なのかもしれません」
一瞬じーちゃんの姿が頭に浮かんだけど、現実問題としていまは無理。
でもこの世界でだって、ちゃんとあったかい場所はある。
俺の言葉に、ミトさんはなんだかすっごく嬉しそうに笑って。
ただ一言、そうとだけ呟いた。
それ以上は俺もミトさんも何も言葉を発することはなかったけど。
穏やかな空気の中、皿洗いを続けた。
ほのぼのな章になるのかな、どうかな
[2013年 11月 17日]