第178話―ミト視点
「ミトさーん!」
半年ぶりぐらいに帰ってきたゴンは変わらない笑顔で。
でも背が少し伸びたかしら。あとちょっとだけ空気が落ち着いた。
…ジンに気配が似てきた、なんて。悔しいから口にしたくはなかった。
ハンターになるって飛び出していったゴンは、約束通り合格をもぎとってきた。
無事に帰ってきてくれたことは嬉しいけれど、複雑な気持ちも残ったまま。
でもゴンが友達を連れてきてくれたことは本当に嬉しかった。
せっかくなら歓迎したかったから、事前に連絡をくれるとなおよかったんだけど。
キルアという子は珍しい白銀の髪で、猫みたいな釣り目。
ちょっと落ち着かない様子なのは田舎が珍しいのかしら。
あ、けどゴンと一緒にハンター試験を受けた子なのよね?じゃあ彼も友達は初なのかも。
同い年の友達ができるなんてゴンは本当に喜んだでしょうね。顔を見ればわかるわ。
くじら島は子供が少なくて、ゴンの他にはさらに小さな女の子がいるだけ。
私とジンが子供の頃も、やっぱりそんな感じだった。
それからゴンが紹介してくれたひとは他にもいて。
という大人の男性。
なんかね、お兄ちゃんができたみたいと報告してくれた。
丁寧に自己紹介をして頭を下げてくれた青年は、不思議な雰囲気を持ってて。
黒い髪に焦げ茶の瞳っていうありふれた外見を持っているはずなのに。
その目は吸い込まれそうな不思議な深みを見せていた。
…このひともハンターらしいから、普通の人間でないことは確かね。
くじら島は平和なところだけど、ごくごく稀に堅気でない人間が流れてくることがある。
大抵は隠居生活をするためだったりで静かにひっそり暮らしてくれるから問題はないんだけど。
逃げて身を潜めるためにやって来たとかだとちょっと危険。
そういう犯罪者が流れてきたときの対処法はもちろん確立されてて、自警団もある。
島民も海と森で育つ逞しいひとばかりだからそう簡単に負けるようなことはない。
でも私たちじゃ対処しきれないぐらい凶悪な犯罪者が来たこともあったわね。
昔はジンがそういう輩は片づけてた。
ジンが出て行ってからも、運よく通りかかったハンターが解決してくれたこともある。
そういう人達ってやっぱり空気が違うのよね。どこか浮いてるっていうか。
それと同じものをからは感じた。
ゴンがすっかり懐いてるみたいだから、変なひとではないはず。
あの子は本能の赴くままに生きてる節があるけど、だからこそ危険には敏感なのよね。
それに曲がったことを誰よりも嫌う子だし。ひとを見る目はしっかりしてるはずだわ。
というわけで、私もおばあちゃんも客人二人を歓迎することに躊躇いはなかった。
実際キルアはとても良い子だし、も落ち着いてる上に心遣いが細やかなひと。
まさか洗い物を手伝ってくれるとは思わなかった。
しかもけっこう手際が良いから、家事に慣れてるんじゃないかしら。
いかにも堅気じゃありません、って雰囲気のひとが台所に立ってるのって微笑ましい。
「もゴンと一緒にハンター試験を受けたのよね?」
「はい。すごく真っ直ぐなゴンに、俺たち皆力をもらってました」
「そう。…頑固なところだけじゃなくて、そういう影響力まであいつに似たのかしら」
「あぁ…ジンですか」
の声は、ゴンから聞いたひとを思い出すっていう感じじゃなかった。
ジン本人を知ってるような口ぶりに思わず手を止めて隣の青年を見上げる。
「……ジンを知ってるのね」
「何回か会ってます。ゴンには言ってませんが」
「そうなの?」
「ゴンが自分で辿り着かないと意味がないかと思って。…あと、ジンのことはあんまり思い出したくないというか、触れたくないというか」
「もしかしてあいつが迷惑かけたのかしら」
「本人にそのつもりはないでしょうね。…ものすごく振り回されました」
「相変わらずなのね、まったく」
ジンに何度か遭遇してるってことは、やっぱり普通の生活は送ってないのねこのひと。
そんでもって相変わらず周りの人間を振り回して生きてるのねあいつ。
ゴンが自分の力でジンに辿り着かないと意味がない。
その言葉は、ジンのことをよく知っているからこそ出てくるものだとわかる。
きっと父親失格のあいつは心からそう思ってるだろうから。
ゴンが近づけばとんずらするわよね、あいつ。変なとこでシャイだから。
普段は神経どうなってんのってぐらい鈍感というか周りを気にしないのに。
それでも自分を追いかけて捕まえてみせたら、会ってやる。
なんて偉そうに思ってるに違いない。やだやだ、あいつの表情まで目に浮かぶわ。
「はキルアのお兄さん、ってことでいいのかしら」
「…ゴンがそう言ったんですか?」
「えぇ。自分にも兄ができたみたいで嬉しい、って話してた」
話題を変えてみると、がかすかに瞳を揺らした。
それは嬉しそうであると同時にちょっと動揺してるようにも見えて。
「俺も、キルアもゴンも本当の弟みたいで…すごく助けてもらってます」
「………私はここを離れられないから。ゴンのこと、よろしくね」
「俺なんかでよければ」
「傍にいるあなたにしか頼めないのよ」
俺なんか、って言葉に少し胸が痛くなった。
もしかしたらこのひと、家族とかそういったものと縁があまりないのかもしれない。
そりゃハンターになるようなひとだし?普通の家庭環境ではない可能性は高い。
だからって自分を卑下していい理由にはならないのよ、と人差し指を突きつけた。
ゴンが一緒にいたいと思った、それは十分にあの子の傍にいる理由になる。
お願いね、ともう一度頼めば今度は何も言わず頷いてくれた。
うん、きっと優しいひとね。不器用なだけなのかもしれない。
「…ならミトさんも」
「ん?」
「元気でいてください。ゴンが帰ってきたいと思ったときに、いつも通りに迎えられるように」
「………そうね、そうするわ」
私にはいつもそれぐらいしかできない。
だけどそれをできるのは私だけ、って勝手に思ってたりもする。
するとはそんな考えを読んだみたいに柔らかい声で続けた。
「帰れる場所があるってきっと心の支えになりますから」
「にはある?帰れる場所」
「……キルアたちが、いまはその場所なのかもしれません」
いまは、ってことは昔になくしてしまったのかもしれない。
何があったのか聞くことはしないし、目の前にいる彼を見ているだけで十分。
キルアたち、って言ってくれたから「帰る場所」にはゴンも含まれてるってことよね?
あの子ったら、いつの間にかそんな大きな存在にもなってたのね。
そのことが誇らしかった。
すっかり日も暮れて夜。
外に出たゴンとキルアが帰ってくる気配はない。わかってたことだけど。
きっとこのまま遅くまで遊び倒すつもりね、と私はお弁当を持っていくことにした。
はそれも手伝ってくれて。しかも熱心にレシピについて聞いてきたり。
良い旦那さんになるとからかえば、恋人がまずいないと真顔で切り返された。
モテそうなのに。それとも、そんな余裕もないような危険な生活してるんじゃないでしょうね。
ジンと遭遇してるようなひとだから可能性はとても高い…と思ってたら。
おばあちゃんが余計なことを言い出すから、慌てて抗議する羽目になった。
お弁当が完成して森の方にまで届けに行こうとエプロンを外す。
そうしたら当然のようにが同行を申し出た。外は暗いからって。
「慣れてるから平気よ」
「女のひとがひとりで出歩くのはちょっと。森は野生動物もいるし」
「ミト、送ってもらいなさい。男性の申し出を受けるのも、良い女の条件じゃよ」
「もうおばあちゃんってば…。ごめんなさいね、お願いするわ」
「はい」
私にとっても庭みたいな場所だから平気なんだけどな。
自然と荷物を持っていくあたり、やっぱり彼はなかなか有望だわ。
明かりなんてほとんどない夜道、しかも森の中なのにの足取りは落ち着いてる。
「慣れてない場所なのに、足取りがしっかりしてる。さすがハンターさんってとこかしら」
「足場の悪い場所は慣れてるので。ミトさんもしっかりしてますね」
「そりゃここで生まれ育ったんですもの」
「ゴンの人間離れした身体能力はここで鍛えられたわけだ」
「ジンの血もあるんでしょうね。二人揃って元気が有り余りすぎてるのよ、まったく」
有り余りすぎて飛び出したまま帰ってこないのが困りものよ本当に。
ジンとの思い出を振り返ってふつふつと怒りがわいてきた私を彼は柔らかい気配で見守ってる。
表情に変化がないからわかりにくいけど、ちょっとだけ笑ってたんじゃないかって思う。
こんな風に優しい空気をまとえるひとなら、やっぱり問題なさそう。
ゴンたちを見つけたとき、ちょうどゴンの母親について話していたみたいで。
私は思わず足を止めちゃった。だってこれまでずっと、ゴンが触れたことはなかった話題。
ずっと本当の子供のようにゴンを育ててきたけど、実際は違う。
私がお腹を痛めて生んだわけじゃない。ゴンを愛し育てるはずだった母親は別にいた。
どんなひとかはよく知らない。知ることが怖くもあったから。
だって誰だって自分の本当の親のことは知りたくなるものでしょう?
ゴンから尋ねられる日を、私はどこかで怯えていたんだと思う。
でもゴンは。
「親父のことを知ったとき、なんとなく母親の方は死んだんだろうなって。勝手に納得しちゃってさ」
「ひでー話だなそりゃ」
「俺にとって母親はずっとミトさんだから。…他にいないんだ」
欲しかったたったひとつの言葉を、こともなげに放り投げてくれるんだから。
「だから聞くこともないし、聞く必要もない」
「………そっか。あーあ、俺もミトさんみたいな母親がよかったな」
「最高だよ。ちょっと口煩いけど」
「全然いいよ!うちのおふくろなんてさ、ちょっと出かけようとするだけでわめくのなんの」
私が聞いていることに、ゴンもキルアも気付いてない。
だからこれは二人の素直な言葉。だからこそ胸がひどく震えて、視界が歪んだ。
だめ、この状態でゴンたちの顔を見たら情けない顔になっちゃう。
くるりと方向転換して私は家に帰ることにした。
は何も言わないまま見送ってくれて。多分、私が見えなくなるまで見守ってくれてた。
泣いてるところなんて見られなくなかったから、彼がついてこないことにほっとする。
…もしかしたらそんな私の気持ちまで彼は察していたのかもしれない。
ゴンは私を母親だとはっきり言ってくれた。
これまで燻っていたものが静かに流れて消えていくのがわかる。
……きっともう大丈夫。ゴンとの家族の絆を、私は信じられる。
だから隠し事をするのはもうやめよう。
ジンに託されたあれを、ゴンに渡す日が来たのよね。
それを見たらまたゴンは飛び出していっちゃうのかもしれないけど。
ちゃんとここへ帰ってきてくれるって。いまは思えるから。
私はこの家で、ゴンを待ってる。
だからゴンのことは頼んだわよ、と。
いまゴンの傍にいてくれているであろう、キルアとに心の中で願った。